ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 06
陽向はカクテルを作ったり、接客したりする上城の姿を見るのが好きだった。アルコールが入れば、いつの間にか頬杖ついてホワンとした目線で忙しく立ち働く上城を見つめていたりして、桐島に「酔うと顔が溶けるね」とからかわれた。顔が溶けそうになるのは、酔いだけのせいじゃない気がしたけれど、なんだか恥ずかしくて陽向はそのたびに適当に誤魔化していた。上城には「どっかのゆるキャラにそんな顔の奴いたな」と苦笑されたけど、彼に構ってもらえるのは嬉しかった。
「あたしさあ、ひとりでもお店、何度か、行ったんだわ」
「ええ? まじで? 危なくなかったの?」
「いや。なれれば大丈夫。あそこはそんなに危険じゃないわよ。あたしらが初めて行ったときは、運が悪かったみたい。それに念のためって、いつもアキラさんが通りの入り口まで送り迎えしてくれるし」
「へえ。そうなんだ」
将の馬は、こんなときも駆りだされているらしい。
「で、思ったんだけどさ」
「うん、なに?」
桐島は、窓の向こうの上城を眺めながら、うっとりと夢見るように話しだした。
「上城さんってさ、あたしひとりで行くとさ。すごく優しいのよ。笑顔も見せてくれるしさ。まあ、営業用スマイルなのかもしれないけど」
「へえ……」
胸の中でまた、なにかがコロリと転がる感じがする。それは角が尖っていて、胸をちくちく刺激する。
「けどさ、陽向と行くとさ。そうじゃないんだよね」
「えどういうこと?」
思わず隣を振り向く。桐島の瞳は相変わらず、上城の姿を探していた。
「上城さん、あたしと陽向が並んで仲よく話し始めると、なんかさあ、笑顔じゃなくなるんだよね」
それは一体、どういうことなのかと、問いかける顔になる。
「つまりさ、なんて言うか、不機嫌になるって言うか。冷淡になるって言うか。陽向はそう感じはしなかった?」
「いや……全然」
もしかして、自分は上城に嫌われているのか。
「で、それをメッセージアプリ使ってアキラさんに相談してみたんだよね。態度が変わるのは、あたしの思い違いなのかなって。そしたら、アキラさんが言うにはさ」
「うん」
「上城さん、妬いてるんじゃないかって!」
その言葉に、桐島は急に相好を崩した。今にも嬉しくて叫びだしそうに両手で頬を覆う。
「もしかしてさー、これって、脈ありなんじゃない?」
「えそれってどうゆこと」
「もー、ニブいわね、陽向は」
唇を尖らせて怒ってくる。
「つまり、上城さんは、あたしを気に入ってくれて、だからあたしに近づく陽向をライバル視し始めてるんじゃないかってアキラさんは言ってんの」
「なるほど……」
だったら俺、嫌われてんのかな、と急に不安になってくる。
しかし、考えてみれば、自分は初対面のときに怪我をしてしまったとはいえ、あられもない場所を彼に触らせてしまっていた。
普通なら、絶対に触りたくないはずの他人の急所である。それを治療のためとはいえまさぐらさせてしまった。よく覚えていないが、象の鼻の部分も手で除けさせてアイスパックを当ててもらった気がする。
改めて認識すれば一瞬にして頭に血がのぼってきた。恥ずかしさと申し訳なさが怒涛のように押しよせる。しかも礼を言いに行ったはいいが、その後も平気な顔をして、何度か店を訪問している。桐島のためとはいえ、自分は拒否もせずホイホイついていってしまっていた。
カウンターに座り、酒を飲んで呑気に話しかける自分を、上城はどう思いながら、眺めていたのだろうか。彼のことを格好いいなあと見ていた自分はもしかして、一物を触られて、その気になって浮かれているホモとでも勘違いされたんじゃないだろうか。
サーッと音を立てて、昇った血が足元へ引いていく気がした。
――だから、嫌われたんだ、俺。
「……そうか。そうだったんだ」
上城は、桐島のことが好きになって、それでまとわりつく自分を邪魔者と思いだしたのかもしれない。気に入らない男が、気に入った女の子にじゃれついていたら、そりゃあ腹も立つだろう。上城が自分にはそっけないのはそのせいか。
窓ガラスに手をついて、どんよりと落ち込むと桐島がダメ押しのように言ってきた。
「そうだといいんだけどね。だからさ、陽向、まえ以上にあたしと仲よくしてくれない?」
意味不明の頼みごとに、うなだれていた頭をあげる。
「……なんで」
「仲のいいところを見せて、上城さんのライバル心を煽るのよ」
「へえ?」
首を傾げて、桐島の顔をのぞき込む。
「つまり、陽向が当て馬になって、あたしを好きな振りすれば、上城さんは取られたくないと思って、ふたりの仲がぐっと進展するじゃない!」
拳を握りしめて力説する桐島に、ショックで脱力した陽向は「はあ」とだけ返事をした。
「ね、陽向、協力してよ」
「ああ……まあ、いいけど」
ありがとう、と陽向の腕を掴んで振り回す桐島に、力なく笑いかける。桐島には以前女の子を紹介してもらったことがある。その子とは結局うまくいかなかったけれど、ここで借りを返せるのなら恩返しに協力してやってもいいと思えた。
ふと窓の向こうに目をやれば、ヘッドギアを外した上城が、離れた場所からこっちを見ていた。陽向と桐島を確認して、形のいい眉を持ちあげる。少しの間、じっと眺めていたが、陽向の腕に桐島の手が絡んでいるのに冷たい視線を送ると、ふいと後ろを向いて奥の部屋へと引っ込んでいってしまった。
やっぱり、嫌われているらしい。あの顔は、明らかに嫌悪を示している。
「じゃあ、あたし、ボクササイズの申し込みしてくるから。ここでちょっと待ってて」
落ち込んだ陽向をおいて、桐島は受付へと駆けて行った。残された陽向は、フロアを行き来する人の邪魔にならないように、壁際へと身をよせて待つことにした。
壁には試合のポスターやジムでひらかれているさまざまな教室の案内が貼ってある。ボクササイズは、エアロビクスのように音楽にのって身体を動かす初級者向けグループエクササイズから、本格的に個別指導がつく上級者向けまでいくつかあるようだった。桐島は多分、初心者向けから始めるのだろう。
十五分ほど、ぼんやりと掲示板に貼られたポスターなど眺めて時間をつぶしていたら、奥からスポーツバッグをさげた上城が出てきた。
上城はシャワーを浴びてきたのか、髪が少し濡れていた。いつもはワックスで綺麗に整えられている短い黒髪が、今日はほとんど立ちあがっている。無造作に乱れた短髪に、スポーツウェア。ふだんと違う、ラフな服装は彼の男らしさを引き立てていた。
陽向に気づくと、ふと目を眇める。そうしてから足早に近づいてきた。目のまえまで来ると、どうしてこんなところにいるのかというように不思議そうな顔をする。
「やあ」
「……こんにちは」
上城は、バーにいるときとは雰囲気が異なっていた。リング上で一戦交えてきたせいなのかもしれないが、ザイオンでの静かでクールなバーテンダー姿とは違う、スポーツ選手の持つ力強いオーラが感じられた。対峙していると、無用に威圧感を覚えてしまう。
陽向を見つめる目つきも、違っている気がした。それとも、そう感じるのはさっきの桐島の話で自分が嫌われていると気づいてしまったせいなのか。
「こんなとこでなにしてんの?」
少し首を傾げて見下ろしてくる。そっけない口調に、陽向はたじろいだ。しかし後ろは壁である。
「桐島の、付き添いで」
「付き添い?」
「彼女が、ボクササイズの教室に入会するっていうんで」
受付を指させば、上城は振り返って「へえ」と呟いた。
「あんたも入会するの?」
「いえ。俺は、しません」
「なんだ。しないのか」
じろじろと観察するように眺められて、戸惑いながら相手を見返す。
「すればいいのに。そしたら少しはその緩い身体も鍛えられるんじゃね?」
やっぱり嫌われてるのか、言い方が冷たい気がした。
気に入っている桐島と仲よくしている陽向を見て、ライバル心でも煽られたんだろうか。
「や、俺は、殴りあうスポーツは無理ですから」
「ふうん」
上城はポケットから手をだして、自分の腰に当てた。と思ったら、その手を陽向の脇腹に向けてくる。いきなり肉を掴んでグニッと揉んできた。
「あ、ひっ、やっ――」
不意にをつかれて、裏返った声がでる。それに、上城もびっくりして手を引いた。
「なっ、なんだよ、ヘンな声だしやがって」
「い、いや、上城さんがいきなり掴んでくるから」
身を縮こまらせながら答えると、上城は困惑したように端正な眉をよせた。
「硬さ見ただけだよ。そんな怖がんなよ。しかし筋肉全然ねえんだな。フニフニじゃねえか。ガキの腹でも、もっと硬てえよ」
「え? ……ええ。体力は必要最小限でまかなう文化部系男子だったもので」
「へえ」
陽向は、運動は体育の授業以外したことはない。鍛えていないので触れられるのもなれていなかった。
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