ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 08
「か、上城さん、て」
「うん」
「お、男でも、大丈夫な人なんですか……?」
その問いに、上城は片眉だけを持ちあげて、不思議な笑みを保ったまま答えてきた。
「趣味にあってりゃ、どっちでも構わないよ」
どっちでも構わないってどういうこと? それって、どっちもイケるってこと?
正体不明の悪寒がぞわりと背筋にきて、身体が震えた。けれどその理由はやっぱりわからない。
陽向は反射的に目を伏せ、相手の攻撃から逃れるようにした。
「……」
しかしすぐにまた惹きつけられるように、目線をあげてしまう。相手は変わらずこちらに挑むような瞳を向けていた。陽向は挙動不審に目玉を動かし、そうして、やっぱりまた抗えない力に引っ張られるようにして、相手をちらりと見てしまった。
ものすごく男前の微笑みが、変わらずそこにあった。
摩訶不思議な怯えを感じて、内心の動揺を隠すため、へにゃっと強張った笑いを相手に投げてみる。すると上城はちょっと目を瞠った。意外そうな顔をしながら、ゆっくりと口端を持ちあげる。陽向と視線を絡めたまま、大きくふたつ頷いた。その仕草は、同意が取れて『了解』した、というようなサインに似ていた。
意味が全くわからないまま、陽向もつられてヒクリと笑う。
「ごめんね。待たせて」
そこに桐島が洗面所から戻ってきた。
「あ、ああ」
うわの空で返事をして、椅子を引いて桐島を通す。なにも知らない彼女は、席につくと先刻と同じように陽気に話と食事を再開し始めた。
目のまえのふたりが、楽しそうにボクシングの話題に花を咲かせる。しかし陽向はその会話に混ざることができなくなっていた。
わけのわからない緊張感が全身を覆っている。
――嫌われてるんじゃなかったの? 俺、この人に、嫌われてるんじゃないの?
そっと上目で、相手を見あげる。陽向の視線を感じ取ったかのように上城がこちらに目を向けてきた。鋭い目つきはもう、怒っているようには見えない。どちらかと言えば、――強引に、誘われているような気がする。
自分はこの人に嫌われているのか? それともまさか好かれているのか? いやもしかして単にからかわれているだけなのか?
混乱した頭で、ぐるぐると意味不明のことを考える。店を出るまで、心の中はずっと迷走したままだった。
◇◇◇
翌週から、桐島は月曜日の夜に、ボクササイズ教室に通いだした。
時折、メッセージアプリを通じて報告がなされてくる。楽しんで行っているようで、写真が添えられていることもあった。上城と一緒に撮ったものもある。ふたりでスポーツウェアを着てジムで練習している姿は胸をざわつかせたけれど、うまくいっているのならよかったと思うことにした。
あれから桐島には、数度ザイオンに飲みに誘われている。けれど陽向は用事を作って全部断っていた。なんとなく、上城に会うのがためらわれたからだった。
あの日、三人で居酒屋で飲んだあと、陽向は自分の住む学生マンションの1Kの部屋に帰って、ひとりベッドに横になって考えた。
――俺はどっちかって言うと、可愛い女の子よりも、可愛い男の方が好みだから。
上城はそう言って、意味深な瞳を自分に向けてきた。趣味にあっていればどっちでも構わないと、なんでもないことのように告白された。
けれど、陽向はよく考えて、あれは自分を誘ったわけではないのだと結論づけた。なぜなら陽向は『可愛い男』ではないからだ。人にはいやし系と言われることもあるが、それで可愛いと言われたことはないし、自分で思ったこともない。親にだって幼稚園の頃の写真にしか言われない。
上城はただ単に、自分の趣味の話をしただけではないのかという気がする。陽向が桐島を強引に売り込もうとしたから、ウザがって釘を刺すために。それを誘われているなどと自分に都合のいい解釈をしてしまったら、俺は男にもモテると思い込んだ、とんだ赤っ恥のうぬぼれ野郎だ。
――脇腹がやわらかくて、からかいがいのあるようなね。
続けて言った、あの言葉。
瞳に込められた色は、冷静になって考えてみれば、ただからかっていただけとも思われる。陽向が嫌われているとも知らずに、何度も店に来ては憧れの眼差しを送っていたから、ちょっといじってやろうとしただけなのかもしれない。そう考えれば彼の取った行動のすべてが、納得できるような気がしてくる。まあ、きっとそうなんだろう。第一あんな恰好いい人が、自分などを好きになるわけがないし。
恋愛経験の乏しい陽向には、それが精一杯の自身で導きだすことのできる答えだった。
回答が出てしまえば、ざわついていた気持ちもやがて凪いで落ち着いていく。
陽向は天気のいい週末、ひとりで街に出かけることにした。
学校のない土曜日、朝遅くに起きて着替えを済ますとマンションを出る。午後からはコンビニのバイトが入っていたが午前中はあいていたので、駅前にあるショッピングセンターにまで行くことにした。
ぶらぶらしながら時間をつぶして、そのあとバイト先に向かう予定を立てる。季節は秋にさしかかる頃だったので、秋物の服でも見るかとファストファッションの店をまずぶらついてみた。その次に携帯ショップを冷やかしでのぞいて、時間もまだありそうだったから本屋にでも、と思ったところでポケットのスマホが震えた。取りだしてみると、桐島がメッセージアプリで話しかけてきていた。
『ねね』
という言葉に『なに?』とすぐに返信する。
『このまえ、クラスの子たちと食べに行ったイタリアンのお店の名前ってなんだっけ?』
とある。思いだそうとしても、英字の羅列しか思い浮かばなかったから、検索してサイトのURLを画面に貼りつけた。
『さんきゅー。イタリアンの名前って覚えられないのよね』
と、個性的な絵柄の動物のスタンプと共に礼がくる。桐島がいつも使う不細工なカピバラが空腹にひっくり返っているイラストだった。
その絵を見ていたら、陽向も急に腹が減ってきた。URLをタップして、出てきたイタリアンレストランのピザの写真を見てみると、触発されてピザとコーラがどうしても食べたくなってくる。ショッピングセンターからも近いその店で昼を済ませてバイトに行こうと決め、陽向はセンターを出た。
目的のレストランは駅まえ大通りの先にある。目抜き通りをぶらつきながら進んでいくと、まえから見覚えのあるふたりが歩いてくるのに気がついた。
「あれ」
それは、桐島と上城だった。並んで話をしながら、多分、陽向の教えたレストランに行こうとしていたのだろう、桐島が通りの店を指さしている。
こちらに気づくと、桐島が「あ」という顔を見せてきた。
「や、やあ」
陽向は手をあげて挨拶をした。けれど笑顔が強張ってしまった。
「陽向じゃないの」
「う、うん、偶然だね」
これはまずいタイミングだったかもしれない。桐島がレストランの名前を尋ねてきた時点で、誰かと行こうとしているのだと、どうして気づかなかったのか。
桐島はいつもより女の子らしい格好をしていた。ブルーの花柄ワンピースは学校には着てきたことのない上品なものだ。対して上城は、バーテンダー姿でもスポーツウェア姿でもなく、今日は無地の白シャツと黒のデニムパンツという涼しげな好青年ファッションだった。まるでデートのような雰囲気が、ふたりの間にはあった。
「ど、どしたの、ふたりでさ」
声がひっくり返ったようになる。自分抜きで桐島が上城と会っていたとしても、別に不思議なことではないのに。
桐島は上城を狙っていると言っていたから、あれから彼女が頑張って、仲が進展したのかもしれなかった。上城の方は『彼女のことは趣味じゃない』と言っていたけれど、ボクササイズ教室で一緒にすごすうちに、彼女のことを好きになっていったのかもしれなかった。
どちらにしても、陽向の知らないところで、ふたりはうまくいっているようだった。
「上城さんに頼んで、ボクササイズのシューズを選んでもらってきたの」
桐島が無邪気に手にしたスポーツ用品店のロゴ入りの袋を掲げてくる。
「あ、あー……。そうなんだ。そりゃあ、よかった、ね」
口端が痙攣したようになった。言いながら、隣の上城にどうしても目を向けることができなくなる。彼が今、どんな表情をしているのか見るのが怖い。ニコニコと幸せそうに笑っていたら、なんだかひどく傷つく予感がする。
「あ、もしかして、今からそこのイタリアンとか?」
無理矢理な笑顔を崩さないようにしながら、通りにあるレストランの看板を指さした。
「そうそう。そこに行こうと思ってたの。さっきはありがとね、陽向」
「うんいいよ、役に立ってよかったよ」
ニコニコと幸せそうに笑う桐島は、その先の言葉を発しない。陽向も一緒にどお? と誘ってはくれない。
笑顔なのに沈黙という不思議な空気が間に流れた。
「えと、じゃあ、俺はこれで」
場の空気を読んで、陽向は挨拶だけしてふたりと別れることにした。
「うん、じゃあね」
桐島も引きとめず笑顔で手を振る。陽向はそそくさと上城の脇を通りすぎて、後ろを振り返らないようにして歩きだした。
最初から最後まで、上城とは目をあわさなかった。彼がどんな表情でこっちを見ていたのかもわからなかった。
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