ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 09


 ふたりでいるところを邪魔したくはなかった。上城に、このまえのように「あんたも来ない?」と誘われたら、桐島はきっとがっかりして陽向は居心地悪くなってしまうだろうし、かといって上城に「じゃあな」とそっけなく言われたりしたらそれはそれでなんだかショックな気がして、すぐに避けるようにしてサヨナラしてしまった。
 ふたりが一緒にいる姿はとても似あっていて、普通のカップルのあるべき姿のようで、陽向は疎外感とも寂しさとも取れる奇妙な虚しさを感じてしまった。
 空きっ腹はくうくう鳴って、なにか食べさせろと言ってきたけれど、食欲の方はすっかりなくなってしまい、陽向は明るい陽のさす通りをトボトボ歩いて時間よりずっと早めにバイト先についた。バックヤードでチーズの入ったサンドイッチをもそもそ食べて、ペットボトルのコーラで流し込んで、昼すぎのバイトに立つ。
 住宅街のコンビニは、土曜の午後はさほど混みはしない。商品の棚だしをしたり、レジに立ったりしながらぼんやりと数時間をすごした。その間も、時折さっきのふたりの姿が目に浮かんできて、作業をする手がとまった。
 なんでこんなに気になってしまうのかと、呆れながらもため息が出てしまう。桐島は上城と付きあいたいと言っていた。その願いが叶ったのなら祝福してやるべきだろう。いいなあ、カッコいい彼氏。俺も欲しい――と考えて、なに血迷ったことを、と慌てて首を振った。
 休憩を挟んで夕方七時までのアルバイトを、いつものルーチンワークで漫然と手先だけを動かしてすごす。あと一時間ほどであがりという頃、陽向はレジに立ち、フライドチキンとアイスクリームを買った学生の清算をして、レジスターにお金を入れた。
 次の客がやってきて、カウンターにドン、と缶コーヒーが一本だけおかれた。陽向はうわの空のままで「百二十三円です。袋はご利用ですか?」と客の顔も見ずに尋ねた。
 相手は返事をしない。財布も携帯もだそうとしない。連れの客でも待っているのかと顔をあげて、驚いた。
 陽向のまえに立っていたのは上城だった。
「……」
 相手は愛想の欠片もない表情で見下ろしている。
「あ、あの」
 予想していなかった状況に、陽向は口をあけたまま言葉をなくした。接客マニュアルに書かれている対応も忘れてしまう。
「ぐ、偶然ですね」
 バーコードリーダーを握ったまま、的外れな一言を発した。
「彼女に聞いたから」
 短く答えた言葉の意味は、きっと陽向のバイト先を桐島に聞いたということなのだろう。多分、さっきのランチの席で。
「あ、あぁ、そうですか」
 差しだされたコーヒーを手に、バーコードを読み取った。カウンターにもう一度おくが、上城が財布を取りだす気配はない。
「さっきさ」
 その代わり、思いがけない言葉を投げてきた。
「俺のこと避けただろ」
「……」
 平淡な声で尋ねられる。けれど感情を押し殺している様子はビシビシ伝わってきた。
 ――俺、責められてるの? この人に。
 なんで? 邪魔しないように気を使っただけなのに。
 目をそらして、そんなことありましたっけというような表情を作ってみる。なのに心の焦りは丸わかりになっているようだった。
「なんでだよ」
 重ねて問われる。声には威圧感があって、責めているようだったけれど聞きようによっては傷ついているようにも感じられた。そんな揺らいだ言い方だった。
 それは、おふたりのせっかくのデートのお邪魔をしたくなかったからです、という台詞が頭には浮かんだが、舌が縮こまってしまい口から出てこなかった。
 陽向が対応に困っていると、上城がため息をひとつ吐いた。そうしてから、「あのな」と低く呟く。
「あんたが彼女のことを好きなら、俺は別になにもしやしないよ」
「……え」
 陽向は相手を見返した。なぜ、今ここでそんなことを言われるのか。
 そうして、そう言えばと思いだした。
 このまえの居酒屋で、上城に桐島のことが好きなのかと尋ねられて、当て馬の役割を言い渡されていた陽向は、そうですと答えたのだった。ふたりの間に割り込んで恋のさや当てをするために、心にもないことを伝えていた。そのことを上城は覚えていたらしい。
 だとしたら、まだ彼女のことを好きな振りをしていた方がいいのか。
「彼女のこと狙ってるから、俺のことを避けたのか?」
 いや、そうじゃないですと言おうとして、けれどその言葉も言っちゃまずいと思い止まった。
 それに上城が怪訝な表情をしてきた。陽向の心の戸惑いを、見極めたかのように目を眇める。
「彼女の方が好きなの?」
 その言い方は、まるで桐島と、誰か他の比較対象があるような口ぶりだった。もうひとり、陽向には意中の人物がいるというような。
「ホントのとこはどっちなんだよ」
  問いつめるように言われ、なんと答えるべきかわからなくなって、陽向は困ってしまった。学校の先生に怒られた小学生みたいに、ついうなだれてしまう。
「……」
 上城の後ろから、新しい客が来たのが視界の隅に映った。
 こんなところでいつまでも私語をしていては他の客の迷惑になってしまうだろう。しょうがなく、陽向はカウンターに向かって話しかけた。
「……彼女が好きです」
 そう言っておくのが普通だよな、当て馬なんだから、と自分を納得させて小さく囁く。
  陽向は自分の気持ちとは裏腹な告白に、ひどく落ち込んだ。しかし、なぜ消沈するのか、その理由はいまいちよくわからない。嘘をつくだけなら、どうしてこんなに罪悪感に似た感情に捕らわれるのか。桐島のためになることをしているはずなのに。陽向の答えに、頭上から焦れた声が降ってくる。
「だったら、なんで、このまえ、居酒屋で俺の誘いに応えるような目を――」
「すいません、まだかかるんですか」
 不意に、苛ついた女性の声が後ろからかけられた。順番待ちをしていた客が痺れを切らしたらしい。
「も、申し訳ありません、今、やりますので」
 陽向は慌てて上城の背後に並んでいた中年の女性客に謝った。
 会計を待って、仕方なく面(おもて)をあげる。自分の瞳が不安定に揺れているのは自覚していたが、仕事はちゃんとしなければいけない。さがりそうになる口元に力を込めて、平気な顔を保とうとした。
 上城は、陽向の様子をじっと眺めてきた。けれどそうしていても埒が明かないと悟ったのか、やがてぼそりと不機嫌に呟いた。
「わけわかんねえ」
 ポケットから無造作にスマホを取りだすと、読み取り機に当てて缶コーヒーの清算をする。レジスターがピッとかるい音を鳴らした。
「わかったよ」
 缶を手に取ると、陽向に向かってそっけなく言う。
「あんたがそういうつもりだったら」
 陽向はレシートをだすことも忘れて、上城の整った、けれど歯がゆさを押し殺した表情を眺めた。
 陽向が自分の中で答えを見つけることのできない感情を、この人はちゃんとわかっていて、なのにたやすくは手渡してくれない、そんなおかしな感覚に襲われる。
 優柔不断な陽向を斬るように、上城はダメ押しの一手をだしてきた。
「俺も彼女のこと、狙うことにするわ」
 突きつけられた宣言に、サッと氷水をかけられたように全身が冷えた。
「へっ……」
 上城はレシートを受け取らず、そのまま背を向けて店を出ていってしまった。追いかけようとして、次の客がまえにくるのに引きとめられる。主婦らしい女性が払い込み用紙を差しだしてきたのを、手早く処理すると、カウンターを抜けて店の外へと駆けて出た。
 けれど駐車場にも、その先の道にも、もう上城の姿はなかった。
「……そんな」
 店のまえに呆然と立ち尽くしながら、焦燥感に捕らわれる。
 どうしよう。どうしたらいいんだろう。
 上城が桐島を狙うのだとすれば、きっとふたりはすぐに付きあうことになるだろう。なぜなら桐島は上城のことが好きで、ずっと落としたいと言っていたのだから。
 しかしこの追い立てられるような焦りが、一体どこから湧いてくるのか、なぜこんなに苦しいのか、陽向にはいっこうに理由がわからなかった。
 そしてその夜、部屋に帰ってから、陽向はベッドの上で悶々としながらあれこれと考えた。
 上城にコンビニで言われたことを反芻し、こんなに辛い気持ちになるのは、もしかして自分は気づかないうちに桐島のことが好きになっていたのかとも悩んでみる。この痛みは失恋からくるものなのか。そんな気もするが、どこか違う感じもした。
 足元からざわざわとなにかが這いあがってくるような、不思議な感覚。膝裏から、炭酸がはじけてでもいるかのように発生するゆるい悪寒。これはなんなのだろう。
 このまえからずっと、上城のことを考えるたびに、彼にまつわる話を聞くたびに身体の奥底から流れだす、ヘンな感情。緊張感にも似た、この感触。
 上城が、ジムでスパーリングをしていた姿が脳裏に浮かぶ。それから、ザイオンでバーテンダー姿で接客している立ち姿が。シェーカーを振る手つきに、ビールを注ぐ指先。どれもこれも、ひとつひとつが心騒がせる。



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