ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 10


 男など、好きになったこともないのに。
 けれど恋愛感情なのかと問われたら、それには自分の中の雄の部分が疑問を呈してきた。
 自分は生まれてこの方二十年、男に恋したことはない。女の子にしか。
 この気持ちが恋情だというのなら、自分は桐島と同じように、男に愛して欲しいと思っていることになる。優しく抱きしめて守って欲しいと思う側になる。いやそれはありえない。
 自分は女の子なんかじゃない。身体も小さく頼りなげで、女性との恋愛経験も希薄だけれど、自分は確かに男であって、女性的なものなど身体にも心にもひとかけらもない。恋愛するなら攻めて守ってあげる側だ。
 だから、これは恋愛感情じゃない。
 ――多分、きっと、これは単なる憧れなのだ。男だって格好いい同性には、ああなりたいと憧れるものなのだから。自分は上城のような男になりたいのだ。
 上城に対する感情は、それだけだろう。小学生のサッカー男子が、プロのサッカー選手に憧れるのと同じ種類のものだ。自分もそうなりたいと思う、その羨望と憧憬の結晶が、こういう形を取ってるんだ。
 そうだ、これは憧れだ。そういうことなのだ。
 ふたりが仲よくなるのに焦燥を感じてしまうのも、友達に仲間外れにされているような疎外感を味わわされているためなんだ。
 陽向は自分自身をそう納得させ、この感情の正体を結論づけて安心しようとした。


 ◇◇◇


「よう、小池。久しぶりだなあ」
 翌週の月曜日、朝の学校近くのコンビニで、まだ寝起きの頭でペットボトルとガムを購入していると、後ろから声をかけられた。
 振り返ると、にやけた顔のクラスメイトが立っていた。
「ああ。多田」
 いつも授業をサボっている多田が、久々に登校してきたらしい。
 多田は陽向の肩に手をおいて、馴れ馴れしく尋ねてきた。
「なあなあ、おまえ、マーケティング講義のノート取ってる?」
 このまえの呆れたメッセージはなかったかのように、親しげに接してくる。陽向は身を引き気味にしながら答えた。
「え? まあ、……取ってるけど?」
 レジを終えて、店を出ればあとをついてくる。買い物をするつもりはなくて、陽向を見つけて声をかけてきたようだった。
「スマホで写メ撮らせてくんね? 授業についてレポート書かないといけないだろ」
「いいけど、一ページ百円だよ」
「金とんのかよ」
 ありえねえ、という顔をする相手に、じっとりと横目をくれてやる。相変わらず調子のいい奴だった。無償でノートを写そうなどと、図々しいにもほどがある。この間の一件があったので、多田にはどうしても優しくない態度になってしまう。
 けれど多田はそんな態度も全く気にする様子はなく、いつも通りの軽薄さで話してきた。
「ところでさ、桐島の友達から聞いたんだけど、おまえと彼女、お宮通りのあの店に通ってんだって?」
「ああ? うん」
 学校の正門をくぐり、講義のある棟まで一緒に歩いていく。
 多田は今日は、講義に出席するらしかった。
「桐島がバーテンダーのこと気に入っちゃたんだって? で、それにおまえも付きあってるんだって?」
「だから?」
 助けてもらったのに、お礼にも行かなかった奴にはもう関係ないだろうというニュアンスを込めて冷たく返す。
「あのバーテンダーの、上城っていう奴」
 なにを言いだすのかと、隣の男に目をくれる。
「あいつ、ヤバい奴らしいよ」
 胡乱な眼差しになった陽向に、多田は意味ありげな笑みを浮かべてきた。
「ヤバいってなにが?」
「教えて欲しけりゃ、ノート見して」
 へへ、と笑ってくる品性に欠けた笑顔は気に入らなかったが、多田の言っていることの意味が知りたかった陽向は、渋々サイドバッグをあけた。
「教えてくれたら貸すよ」
 ノートは手渡さず、チラ見せするだけにする。多田は欲しいものを目のまえにして、口がかるくなったのかぺらぺらと喋りだした。
「俺のスロット仲間にビジネス情報科の奴がいるんだけどさ。そいつ、地元出身でバーテンダーのこと知ってたんだよ。高校も同じ、同級生だったって」
「同級生? そんな人がいたんだ。それで?」
 ノートを取りだしつつ、先を促す。
「そう、で、このまえ、俺らに因縁つけてきた集団いただろ。ガラの悪りい四人組。おまえの股間蹴りあげた奴」
「うん」
「あの、バーテンダーの上城、元はあいつらと仲間だったんだってよ」
「え?」
 思わず裏返った声がでた。
「おまえの股間蹴った奴がリーダーで、仲よかったんだってさ。それが、バーテンダーの方がリーダーのオンナを横取りして決裂したんだとよ」
「……」
 そう言えば、と初めて上城と出会ったときのことを思いだす。
 ふたりは知りあいのような会話をしていたはずだった。『またあんたか』とか『あんたは俺には勝てない』だとか。
「それで、お宮通りの真ん中で、ふたりで流血沙汰の喧嘩さわぎ起こして、警察にも厄介になったんだって」
「……本当に?」
「あの辺じゃ、いわくつきの奴らしいよ。ボクシングで大学目指してたのに、それがなんだかわかんないけどダメになったらしくて。だからキレやすいのかな。学生はすぐに面倒を起こすとか、俺らのことも偏見の目で見てたし」
「まさか」
 上城がそんな人だとは思えない。
「まあ、そういう噂のある奴だから、桐島にもやめた方がいいって教えといてやりなよ」
 驚いている陽向の手からノートをかすめ取ると、多田は「じゃあな」と言って、教室へは入らずに帰ってしまった。結局、今日もサボるつもりらしい。
「……」
 残された陽向は、のろのろと教室に入り、後ろの席に陣取った。
 教科書やノートなど授業の準備をしてから、多田に言われたことをもう一度考える。
 あのストリート系の男たちと、上城が友達だった。元は彼らの仲間だった。そんなこと、すぐには信じられなかった。警察を怖がって危ない商売をやっている彼らと、上城が同じ人種とは思えない。
 上城はお宮通りに店を構えてはいるけれど、全うな商売を営んでいるように見える。人柄だって、愛想はないが、陽向が怪我したときは嫌だろうにきちんと手当てをしてくれた。痛みに呻いている間、背中まで擦ってくれたのだ。正義感も優しさも持ちあわせている。そんな彼が、あの集団のリーダーと、女関係を巡って流血沙汰の争いをしたなどと。
 陽向は、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。思わずシャツの上から胸を握りしめる。
 本当に、そんなことがあったのだろうか。あの暴漢の恋人を横取りしたんだろうか。
ひとり俯いて考え込んでいると、隣の席に赤いバッグがおかれた。ドン、という音に我に返る。
 見あげると、桐島が「ここいい?」と手をゴメンの形にして尋ねてきていた。
「あ、うん、いいよ」
 時計を見ると、授業開始五分まえだった。
「ふう。間にあってよかったわ」
 桐島が大きく深呼吸しながら椅子に座る。桐島に驚かされて、授業まえの喧騒が耳に戻ってきた。
 いつもは女友達と並んで席につく桐島だったが、今日はギリギリのため他に席があいていなくて、空席だった陽向の横に来たらしい。手早くバッグから教科書やペンケースを取りだしながら、こちらをちらと見てきた。
「このまえごめんね」
 ちょっと申し訳なさそうな顔をする。
「え、なにが?」
「お昼、せっかく会ったのに誘わなくってさ」
「ああ……いや、いいよ」
 細かな気遣いに、陽向も自然と笑顔になった。もしかしてそれを伝えるために、わざわざ隣に来てくれたのか。
 先刻、多田から聞いた不穏な情報は、まだ彼女には話すのはやめておくことにした。多田のことはいまいち信用できなかったし、不確実な噂を信じたり広めたりするのは、上城に対しても誠実じゃない気がしたからだ。



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