ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 12


 ◇◇◇


 桐島にはまえもって、上城から来るように言われたことは伝えておくことにした。
 講義が終わったあと、学食に併設されたカフェで、お互い飲み物を買ってテーブルにつく。一緒に受ける資格試験の話をしたあとで、陽向は映画の話を切りだした。
 嫌がるだろうと思っていたら、予想外にも彼女は考え深げに答えてきた。
「なんかね、あれから上城さんからメッセージが来て、何度も陽向は誘わないのかって聞かれてんのよ」
「そうなの?」
「うん、そうなの。ねえ、これってどういうことだと思う? あたしとふたりっきりってのは、嫌なのかなあ」
 コーヒーフロートを飲みながら、桐島が相談してくる。陽向はアイスティーのストローをかき回しながら、答えに窮してしまった。
「……さあ。見かけによらず、シャイなんじゃないのかな」
 と上城の人柄からは全く想像できないような理由を告げてみたけれど、桐島は疑いもせず「そうなのかもね……」と納得顔で頷いてきた。
「ふたりで会ってても、なんか礼儀正しいっていうか、がっついた感じがないっていうか」
 ふむふむと陽向の方も、上城のことは知りたくてつい聞き入ってしまう。
「親切だし、優しいんだけど、客と店主、またはスタッフと生徒以上には発展しないっていうか」
 プラスチックのスプーンをぶすぶすとアイスクリームに突き刺しながらぼやいてくる。
「あー、やっぱ、あたしの方からもっと攻めていこうかな。他の誰かに取られないうちにさあ」
 陽向はズズ、と音をたてながらアイスティーを啜り、その言葉に黙り込んだ。
「どう思う? 陽向は?」
「……いいんじゃない」
 自分がとやかく言う問題ではない。桐島がやりたいと思うことをするべきだろう。
「ならやっぱ、今度の映画、一緒に来てくれる?」
「え? いいの」
「うん。あたしのこと売り込んで、上城さんをたきつけてよ。こんなイイ女だったら、逃がすのは惜しいと思わせるようなさ」
「当て馬っすか」
「そうよ。出番よ、走ってよ」
 目が据わった桐島にお願いされて、結局陽向は映画館に出向くことにした。
 当て馬だから、彼女を取られるのが嫌だから、ふたりの仲を邪魔しに行く。それが月曜日の映画に行く理由だった。というか、どちらかと言えば言い訳だったのだが。
「ちゃんと来たんだ」
 映画館のまえで待っていた上城が、陽向を見つけると微笑んできた。ばっくれなかったことを褒めるような、安心したような笑顔だった。それは営業用スマイルとは全く別の、もっと中身のこもった笑い方だった。
 けれど、どういう意図で桐島を『喰っちまうぞ』などと脅してきたのだろう。最初から喰う気なら、陽向は邪魔なだけなはずなのに。
 待ちあわせ場所には桐島も一緒にいた。いつもより可愛めの格好に、メイクもばっちり決まっている。陽向はできる限り彼女を褒めたたえ、仲よく接するようにした。上城とは目をあわせないようにして。それに桐島は満足そうだったけれど、反対に上城は氷のように冷淡になっていった。しかも陽向に対してだけ。
 時折ふっと、なんで自分はこんなに冷たくされながらもふたりのために必死になってるんだと疑問に思ったりした。しかし憧れの上城と美人の桐島が、付きあうことになればふたりともハッピーになるじゃないか、それは自分にとっても幸せなことなんだと、無理矢理気持ちを納得させた。ちょっと泣きたい気分になってしまったけど、これはきっと憧れの人に冷たくされて落ち込んでるだけなんだと自分を慰めながら。
 しかし、月曜のレイトショーのその映画は散々だった。桐島が選んだ映画は感動系で、しかも悲恋が題材の不幸話だった。
 陽向はこの手の映画が苦手だ。絶対に泣いてしまう。映画が始まるまでは、自分の当て馬としての立ち位置に注意がいっていたから気づかなかったが、上映開始から数分で、あ、これはヤバイ系だと気がついた。
 スクリーンからなるべく目をそらすようにして、話にも集中しないようにする。けれど、いつの間にかストーリーにのめり込んでしまい、主人公とその恋人が不幸のどん底に落ちていくと、もう登場人物らに感情移入がとまらなくなり、鼻をぐすぐす言わせ始めてしまった。
 陽向の隣は通路で、反対側が桐島だった。その奥が上城である。彼女もハンカチを握りしめていたが、陽向にそっとポケットティッシュを差しだしてくれた。礼を言って受け取り、溢れる水分を静かにふき取る。しかしすぐに底が尽きてしまった。
 話の展開が気になったけれど、もう流れ出る洟水と涙に耐え切れず、陽向は席を立つことにした。トイレに駆け込んで、トイレットペーパーをカラカラいわせながら涙と洟を拭う。落ち着くのを待ってから個室を出て、洗面台で顔を洗い気持ちをすっきりさせた。情けないがこんなになっては、エンディングを自分の席で迎えるのは無理だろう。
 ふたりには告げずにコッソリ帰ろうかなどと考えながらドアをあけて廊下に出たら、そこに上城が待っていた。
 壁にもたれて腕を組んでいる。陽向はびっくりして立ちどまった。
「……なんで?」
 陽向の顔をちらと見て、難しそうな顔をする。小さく肩を竦めて、ぼそりと言った。
「いつまでも戻ってこないから、また気分でも悪くなったのかと思って」
 それで、わざわざ上映中だというのに抜けだしてきてくれたのか。
 心配をかけているとは思いもよらなくて、胸がきゅうっと締めつけられた。
「いえ。……あの、違います」
「じゃあ、なんで」
 わけを話すのは恥ずかしかったが、目と鼻が腫れて赤くなっているのをじっと見られて、誤魔化しようがないと思い正直に話した。
「……俺、ああいう感動系の話、ダメなんです。……すぐに泣くんで。普段はレンタルで観るようにしてるんですけど。今日は不意打ちだったから、心の準備もできていなくて」
 上城は意外な理由をしらされたという顔になった。
「あの映画で泣けるのか。すげえな」
「……いやいや、可哀想な話だと思いません? 恋人や家族と離れ離れになって、飼ってる犬まで病気で死にそうになってるんですよ」
 喋りながらまたストーリーを思いだして、鼻をぐずぐずさせてしまう。上城はそんな陽向を珍しい生き物でも見るように眺めてきた。
「まあ、俺は趣味じゃないから泣けないけど」
 陽向はシャツの袖口で鼻先を拭うと、「……俺、このまま先に帰りますから。あとはふたりで最後まで観てってください」と告げた。エンディングがどうなるのか気にはなったが、これ以上情けなく感動している姿をこの人に見られたくなかった。
「なんで? せっかく観にきてんのに。一緒に最後まで観て行けよ」
「……この状態じゃ、無理かと」
 ぐす、と洟を啜って上城から目をそらした。こんな男らしくないところは、憧れの相手にあまりさらしたくはない。
 上城は腕を組んだまま陽向を見下ろしていたが、やがて壁から離れるとトイレの中へと入っていった。用を済ますのかな、と思って待っていたら、すぐに手に紙タオルを数枚掴んで出てくる。陽向のまえで、それを折りたたみ乱暴に手渡してきた。
「ほら、これ持っていけばいいだろ。別にあんたが泣いたって誰も気にしねえよ。面白いと思ったから感動したんだろ。だったらエンドまでちゃんと観てけよ。ついててやるから」
「……え」
 腕を取って、劇場まで引っ張っていこうとする。力強い手に引かれて、陽向はたたらを踏みながら扉のまえまで連れていかれてしまった。
「あ、あの。だったら、俺、一番うしろで立って観ます。もう終わりに近いし、今から動いたら観てる人の邪魔になるだろうから」
 中に入ろうとする上城を押しとどめて伝えると、相手も陽向が戻る気になったのに安心したのか、小さく頷き「じゃあ俺もそうする」と言って扉を押した。
 ふたりで暗い劇場内の通路に沿って、一番奥へと移動する。立ち見の場所で手すりによりかかり、輝くスクリーンに目をやった。
 物語はラスト近くにさしかかっていた。主人公は不幸のどん底から這いあがろうと懸命になっているところで、ぼろぼろになりながら故郷の街へと向かっていた。ついに犬が死んでしまうと、陽向のやわな涙腺はまた、女々しくも崩壊してしまった。



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