ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 13


 泣くまいと力を込めても、勝手に涙はあふれてくる。もらった紙タオルを鼻に当てて、うっと小さく呻いたら、隣の男が背中に手を添えてきた。不意に優しく包み込まれて、少し驚いてしまう。けれど悲しみに緊張していた心は、大きな手のひらを素直に受け入れた。
 上城が、肩甲骨のあたりをなだめるように擦る。そうしながら、そっと耳元に囁いた。
「あれは演技だ。死んでない」
 と、陽向の感動をぶちこわす現実的な言葉を投げてきた。それに涙もぴたりととまる。横を向けば、思いがけず近くに相手の顔があった。上城は陽向の反応を窺っていた。
「……そうっすね」
 泣き笑いの表情を浮かべると、上城は「うん」というように顎を引く。生真面目な表情に、思いやりが表れていて、それで昂っていた心が鎮まっていった。
 ――この人は、この人なりの方法で、俺を気遣ってくれてるんだ。
 陽向は銀幕に視線を戻しながら、喉元から込みあげる嗚咽まじりの微笑みを抑えるように紙タオルを口に当てた。
 上城の手は、ずっと陽向の背にあてられていた。労わるように、親指で背をやわらかく撫でている。あの、暴漢に襲われて怪我をしてしまったときと同じように。
 ラストで主人公が恋人と奇跡の再会を果たすと、陽向はまた登場人物に感情移入して、泣きそうになった。恋人の腕の中には子犬が抱かれている。死んだ犬の子供だった。粋な演出に、瞳がうるうるとなる。音を立てないように静かに泣いていると、上城は手のひらを肩に移して、ぐっと力を入れてきた。その強さに、どうしてか安心してしまう。
 スクリーンの中の主人公も恋人と抱きあっている。感動的な物語に同調して、陽向の気持ちも高揚していた。上城に身を任せているという状況に違和感を覚えない。むしろ、すごく幸せだった。
 男ふたり、劇場の後ろでより添って、片割れは泣いているという図は、もし誰かが振り返って見つけたとしたら、妙な光景だったかもしれない。けれど、離れるという考えは陽向の中に全く思い浮かばなかった。
 やがてシーンが変わり、映画内のふたりは再会の盛りあがりのままに、寝室へとなだれ込んでいった。
 抱きあいながら、笑顔でベッドへと倒れ込む。熱い眼差しを絡めあい、キスを交わし、あっという間に濃厚なラブシーンへと突入していった。
「……」
 観客の目のまえで、早急にお互いの服を脱がせあう。愛の言葉を囁きつつ、あらわになった肌を重ねあわせて、またキスをする。ふたりの息づかいがドルビーサラウンドで劇場内に響き渡った。
 もちろん、画面は男女であったが、陽向は目をまん丸にして固まってしまった。童貞の自分にはレベルの高い状況である。しかも隣には憧れの、けれど男性が。
 陽向はそっと身体を動かして、上城から距離を取ろうとした。もう泣くことはないだろうから。
 しかし、身じろいだ瞬間、ぐいっと力強く肩を握りこまれて、さっきより近くへと引きよせられた。上城の肩に自分の頭がのっている状態になる。
 ――え? なんで?
 と焦ったが、上城の方が陽向よりずっと腕力があったから、抱き込まれたままどうにも逃げられなくなった。上城は手のひらで陽向の肩口をすっぽりと覆い、指先にも力を入れてきた。
 熱い手のひらだった。その熱で、こっちの体温も上ってしまうような。
 画面では相変わらず、恋人同士が熱心に抱擁を続けている。感化されて、陽向の心臓も抱擁されたように圧迫され始めた。ドキンドキンと太鼓でも叩いているかのように暴れだす。動けないまま、そうして相手の顔を見あげることもできないまま、陽向はロウ人形のように固まった。
「……やばいな」
 不意に、横の男がため息のような声をもらした。
「……」
 煽られるように、腹の奥から経験したことのない感覚が発生してくる。重くて熱いその感情の波は、へその下にすぐに移動して、いつもは静かに眠っている器官を刺激した。陽向は瞬きを繰り返して、身体の中の変化を追い続けた。そうして、脳がそれをもっと、と望んだ瞬間に慄いた。
 ラブシーンは正味一分間ぐらいだったろう。けれどそれが終わったとき、陽向は感動で泣いたときよりも疲れ果てていた。
 クレジットが流れ、場内が明るくなってやっと上城は陽向の肩から手を離した。
 前方の席で立ちあがった桐島が、頭をきょろきょろさせているのが見える。ふたりを発見して、心配そうにやってきた。
「陽向、大丈夫だった?」
 桐島の目も少し赤かったが、陽向はその比ではなかった。
「うん……ごめん」
 ふたりに迷惑をかけてしまったと思い、萎れながら謝った。
「いいよ、全然。あたしも泣いちゃったしさ。陽向はこういう映画弱いんだ?」
「はい、そうです」
 申し訳ないとばかりにうなだれたら、桐島に背中を叩かれた。
「気にしなくていいわよ。あーあ、あたしももっと泣けばよかったかな。そしたら上城さんに心配してもらえたのに」
 と笑顔で言われて、陽向も苦笑してしまった。
 映画館を出たら、もう十一時をすぎていた。桐島を駅まで送っていって、終電間近の電車にのせる。陽向の家は駅から近いので、上城とは駅まえで別れるつもりでいた。
「それじゃあ俺はここで。今日はお世話かけてすいませんでした」
 駅舎のまえでぺこりと頭をさげる。残されたふたりきりという状況に、気恥ずかしさを感じた陽向は、そそくさと挨拶をすませて帰ろうとした。
 しかしなぜか腕をぐいと掴まれる。振り返れば暗い街灯の下、表情の読めない上城がこちらを見下ろしていた。
「なあ」
 低い声は、少し余裕を欠いている。
「まだ帰んなよ」
「え?」
 腕に込められた力が、ぐっと強くなったような気がした。
「あんたに、訊きたいことがあるから」
「訊きたいこと?」
 ああ、と小さく頷く。その、ちょっと切羽つまったような声音に戸惑った。
「今から、俺んち来ないか」
「えっ」
 及び腰になったのを悟られたのか、上城は掴んでいた手を下に滑らせ、手首を握ってきた。さっきと同じ熱い手のひらに、陽向の腕はぴくりと反応した。
「映画のまえに、彼女からメッセージが届いてた」
「……」
「付きあって欲しいって書いてあった」
 腕が跳ねあがる。
「そうなんですか」
 陽向はそのことは聞いていなかった。進展しない関係に焦れて、彼女も最終手段に出たのだろうか。
 上城は陽向の手を引いて、駅の裏側へと歩き始めた。陽向に構わず早足で進んでいく。引き摺られるようにしながら、陽向は急いで足を繰りだした。
 踏み切りを渡り、線路沿いにお宮通りへと足を向ける。
「そ、それで、なんて返事を?」
 歩くことに集中して、答えを返してくれない相手に、追いつこうと必死になりながら問いかけた。
 上城はまえを見たまま、短く言った。
「保留にしてある」
「え?」
「まだ答えていない」
 なんで、という言葉が、早くなる呼吸に紛れる。会話もままならないうちに通りにつくと、上城は陽向の手をさらにしっかりと握ってきた。
 お宮通りは、とても賑やかだった。一番繁盛している時間帯なのだろう。看板や提灯にはどれも灯が入り、店からもれる光も多く、人声や歌声が通りに響いていた。
「よお、大将」
 歩いていた老人が、上城に声をかけてくる。上城はそれに手をあげて営業用のスマイルを返した。しかしつないでいる手は離さない。急ぎ足で通りを進むとザイオンのまえまでやってきた。
「ここ、店ですよ?」
 ポケットから取りだした鍵で扉をあけながら、上城が答えてくる。
「この上なんだよ、俺の家。二階が住居」
 店に入ると、鍵をかけなおし薄暗い店内を通り抜けて裏口へと向かった。その間もまるで逃げられるのを阻止しようとするかのように、手は一時も離さなかった。裏口を出ると、外壁に鉄製の狭い階段がついていた。上城が先に、その後に陽向が続けば、スチールを踏む金属的な音が暗い空間に響き渡った。
「なんで保留にしたんですか?」
 追いかけながら後姿に問いかける。上城は二階につくと、施錠を外しながら答えた。
「そうすれば、焦らせるかなと思って」
「え?」
「彼女には悪いんだけど」
「どういうことですか?」
 首を傾けて、理由を尋ねる。よく意味がわからなかった。男は陽向を先に部屋に入れるとドアをしめて鍵をかけた。話の続きを知りたい陽向は素直に従った。



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