ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 14


 上城が玄関先で電灯をつける。部屋の中がぱっと明るくなった。まぶしさに目を細めれば、隣に立つ相手はスニーカーを無言で脱いでいた。奥に入っていくので、陽向もやむをえず靴を脱いであとについていった。
 短い廊下の先に、キッチンとそれに続くリビングがあった。物が少なくひどく殺風景な部屋だったが、綺麗に片づいていた。他に人がいる気配はない。ひとり暮らしのようだった。
「まえにあんた、俺に言ったよな。彼女のこと好きだって」
 背中を見せたまま、上城が尋ねてくる。
「え? ……ええ」
「だから、彼女に返事を送るまえに、そのへんきちんと確認してこうかと」
 わざわざ自分に断ってから、彼女に返信しようとしていたのか。律儀な気もするが、桐島のことを好きになっているのだとしたら、自分には構わずふたりで付きあってもらいたかった。『喰っちまうぞ』と言っていた位なのだから、その気にはなっているのだろう。
 これで自分の当て馬としての使命も終わりだ。ふたりには映画のようなハッピーエンドが待っている。
 そう考えたら、胸の奥からじわっとなにかが流れ出て、塊となって喉元まで込みあげてきた。
「……付きあったら、いいんじゃないですか。俺のことは気にしないでください。どっちみち、桐島には当て馬になってくれって頼まれてただけですから」
「当て馬?」
訝しむ声音だった。
「そうです。馬です。当て馬です。彼女が上城さんのこと好きになっちゃったから、仲を取り持つために恋のライバルとして走ってくれと言われたんです。だから、ホントのところは、俺と桐島は友人でしかないんで、彼女のことも友達としか見ていません。恋愛感情はないです。なので、どうぞおふたりでお幸せに」
 当て馬をしていたことを桐島に黙ってバラしてしまうことに罪悪感が生じたが、彼女と自分との関係が友情だけと分かれば、上城も安心して彼女の所へ行けるはずだろう。
 映画館で泣いてしまったせいか、涙腺がゆるんだままになっている。気を抜いたらまた、目と鼻が壊れた蛇口みたいになりそうだった。
「やっぱりそうか」
 顔を見せない男が、呟くように言った。
「なんだか最初からそんな気がしてたんだよな。だったら俺のカンは当たってたってことか」
 上城はデニムパンツの後ろポケットからスマホを取りだした。陽向に背を向けたまま、なにやら操作しだす。メッセージを打ち込んでいるようだった。
 陽向は黙って突っ立ったまま、まえの男の気配を窺っていた。送信し終わると、ポケットにスマホを戻し、そのままリビングを通ってキッチンへと入っていく。陽向も仕方なくあとに続いた。
 キッチンは古い造りだったが、清潔に保たれていた。さすが飲食業を営むだけあって、隅々まできちんと掃除が行き届き、ステンレスも鏡のように磨かれている。
 上城は冷蔵庫から冷酒を一本取りだした。それはこのまえ、陽向が贈ったものだった。
「せっかくだから、これをあけるか」
 グラスをふたつと、ナッツの小袋をひとつ持ってリビングへと戻る。リビングにはチェストとテレビ、真ん中にラグの敷かれたローテーブルがおかれていた。下の店と違い、飾り気がなく簡素な造りだった。
「立ってないで座れよ」
 手招きされて、おずおずとはす向かいに腰を下ろした。正座して、よくわからない流れのままに小さく縮こまり手を膝の上におく。上城はグラスに冷酒を注いで、ひとつを陽向に差しだしてきた。飲めということなのか。
「いただきます」
 陽向はグラスを手に取ると、グッと一気にそれを煽った。込みあげる涙も一緒に流し込む。なかなか美味い酒だった。自分で選んだにしては上出来だ。
「いい飲みっぷりだ」
 上城もグラスを手にする。すると、陽向のスマホが尻ポケットで軽快な音楽を鳴らし始めた。取りだしてみれば、桐島からのメッセージが表示されている。なんだろうとひらいてみて、驚いた。
『上城さんに告った』
 とある。それからすぐに続きがアップされた。
『けど、断られた』
 カピバラが号泣しているスタンプが添えられている。
「え?」
 画面を二度見して、斜めまえの男に目をあげた。
「なんで?」
 上城は誰からなにが届いたのか承知している様子で、小さく肩を竦めて見せた。
「ケジメだよ。きちんと断らないと」
「けど、なんで?」
「最初から、彼女は俺の趣味じゃないって伝えたよな」
「……でも、彼女のこと、狙うって言ってたじゃないですか」
 上城も冷酒を一気に半分ほど煽る。
「そう言わないと、はっきりわからないことがあったから」
「……」
 意味不明の説明だった。
 好きになってたんじゃなかったのか。だから狙ってたんじゃなかったのか。
「狙うって言ったのは、あんたにだけだから」
「俺にだけ?」
 そう、というように頷く。
「あの子に対しては、気のあるそぶりをしたことは一度もない」
 陽向は口をぽかんとあけたまま話を聞いた。
「店とジムでは、顧客のひとりとして応対しただけだし、シューズを一緒に買いに行ったのも、ジムのトレーナーに世話してやるように頼まれたからだよ」
「そんな……」
 確かに桐島は、いつまでたっても上城がなびいてくれないと嘆いてはいた。それで自分も当て馬として駆りだされのだ。狙うという宣言は陽向に対してだけで、桐島本人には全く行動は起こしていなかったということなのか。
 陽向が考えている間に、上城は残りの冷酒を飲みほした。
「これで、俺は彼女と他人に戻った。あんたは当て馬の役割を終えた。お互い、彼女のしがらみから解放されたわけだ」
 グラスをおいて、テーブルに身をのりだしてくる。
「だから、もう自分のしたいようにしてもいいよな?」
 確認を取るような言い方に、陽向は首を傾げた。どういう意味なのかよくわからないまま、思ったことを素直に口にだす。
「……いいんじゃないですか?」
 その答えに、男は口角をあげた。理解できていない陽向の顔をじっと見つめてから、おもむろに言ってくる。
「なら喰ってもいい?」
「へ?」
 ぐいと腕を引かれたと思ったら、顔が間近に迫ってきた。ほとんど息が触れあう距離で、上城が低く囁く。
「陽向」
 名前を呼ばれて、背筋がぞくりと来た。下の名で呼ばれたのは初めてかもしれない。しかしなんで、自分が喰われることになっているのか。
「って、ちょっと待ってください。お、俺を喰うんですか?」
「あたりまえだ。この状況で他になに喰えって?」
「け、けど、俺? そんな、なんで俺なんかが」
 しどろもどろになりながら、混乱した頭で状況を整理する。思考は依然絡まったままだ。
「なんでって、おまえが今、いいんじゃないですか、って言ったからだよ」
「ええそういう意味だったんですか?」
 なに言ってんだこいつという顔をされる。意思疎通ができていなくて、お互いの会話がちぐはぐだ。
「最初から、気に入っておまえのこと押してたの、ちゃんと気づいてただろ?」
「え?」
「そっちは、それ、拒否せずに、応える目、返してきてただろ。だから俺もその気になったんだよ」
 上城の顔は真剣で、いささか憮然としているようにも見える。そのせいで、なにを考えてそんなことを言ってきているのかうまく読めなかった。
 責められているのか焦れているのか、それとも誘っているのか。判断がつかない。
「……俺、男、好きになったことなんか、ないんですけど……?」
 は? という形に口元が歪められた。
「嘘だろ」
 瞳に力がこもる。咎めるように目を眇めると、断定するように言われた。
「好きになったことない奴が、あんな目でこっち見返したりするか」
「ええ?」
 驚いて、あけっ放しの口がさらにひらく。
「……本当に、今までも、女の子としか付きあったことがありません」
 ひとりだけで、それもキスどまりではあったけれど。
「じゃあなんで」
 上城は顔を傾げながら、問いつめるようにしてきた。
「俺のアプローチに応えるようなそぶり見せてきたんだよ」
「えっ」
 目を見ひらいて、相手を見返した。
「……なんのことですか」



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