ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 17
「なのに、こっちのこと見るときは意味深に潤んだ目をしてきて。誘うように視線をあわせたら恥ずかしそうにそらすしさ。だからこいつどういうつもりなんだって、実は腹の中じゃ結構イラついてた」
思いだしたらまたムカついてきたというように、頬に手を回して横に摘んでくる。陽向の口はカエルのように広がった。
「まじですか」
だからあんなに機嫌が悪かったのか。というかやっぱり嫌われてたんじゃないのか、その状況は。
「すいません、嫌われてるのかと思ってました」
「誘いかけてたんだよ。彼女にはバレないように」
「ええ……」
全然そんな風には見えなかった。自分が鈍いせいで、ひとつも伝わって来ていなかった。男同士の微妙な誘いのニュアンスなんて、経験がないから全く思いも及ばなかった。
「じゃあ、彼女のこと狙ってるって言ったのは……」
「なんとかして挑発してやろうと、頭使ったんだよ。けどそのうち、店に来なくなるしさ。そしたら余計にイラついて、仕事でミスしてアキラにはなにやってんですかとか言われるし」
アキラに対する憤りを表すかのように、陽向の顔をさらに横に引っ張る。痛くはないけど、八つ当たりされている気がした。
「それはすいあせんでした」
空気がもれる唇から、アキラの分も謝罪する。上城は「うん」と言って指を離した。
「数日まえ、彼女が映画に行かないかって誘ってきたから、それを口実に無理矢理呼びだしたんだ」
今度は唇の端をゆるゆると擦ってきた。
「会いたかったから」
指先に込められた優しさのせいか、それとも言われた台詞のせいか、口端がぐっとさがってしまう。
「そしたらあんな陳腐な映画で感動するし、抱きよせたら可愛くなるし、あの場で押し倒したくなって、我慢するのが大変だった」
上城はそこで言葉をとめた。顔を伏せてじっと動かずにいたが、しばらくして「やばい」と一言もらした。
「喋ってたらそのうちに治まるかと思ってたけど、やっぱ無理だ」
むくりと身体を起こして、立ちあがる。
「1ラウンド」
「へ?」
「1ラウンドで、戻る」
上城は言いおいて、そのままリビングを出ていってしまった。
ばたんとドアをしめて、その先にあるらしい廊下を足音を立てて去っていく。
「……」
残された陽向は、床に転がったまま、上城の出ていったドアを天地逆の状態で見続けた。
色々と喋って、心のうちを明らかにしてくれたのは気をそらすためだったのか。
上城に言われたことが、本人がいなくなってからじわじわと胸に滲みてくる。そんなに思ってくれているとは知らなかった。悪いことをしてしまった。
疲れ気味の身体を起こして、ラグの上に正座する。顔にはまだ熱があって、頭はぼうっとしていた。
二度も、触られてしまった。なにがなんだかわからないうちに。けれど全然嫌じゃなかった。そうして自分は二回もお世話になってしまったのに、こっちからはなにも返していない。
正座の足を、居心地悪くもぞもぞさせる。膝に両手を揃えて、もう一度しめられたドアを振り返った。
やっぱり、してもらったならしなくちゃいけなかったよな。同じ男なんだもんな、と反省してみる。こういう経験は初めてだからよくわからないけれど、自分だけってのはよくないんじゃないかって、それぐらいは推察できる。だったらどうしたらよかったのだろう。やっぱ、同じように手とか? それとも口……とかか?
こっちのモノは二度もさらしたのに、相手に関してはまだ未知のままだということが顔を赤面させた。
そうやってひとりで悩んでいるうちに、上城が戻ってきた。ドアをうしろ手にしめて部屋に入ってきた姿は、なんだか少し居心地悪そうで、らしくなく目元には朱色がほんのわずかだけれど走っている。ちょっと不機嫌そうだったから、やはり自己処理させてしまったことを怒っているのかと思った。
「……あの」
陽向の横に腰を下ろし、胡坐をかいた相手におずおずと話しかける。上城は、なに? というような目をしてきた。
「俺もしましょっか。……よかったら」
それに男は、整った眉をよせた。
「いまごろ言うなよ」
「あ……そ、そうですよね。すいません」
恐縮する陽向に、仕方ない奴と言うようにくすりと笑う。
「今度」
「え?」
「また今度な」
次があるのかと、考えていなかった陽向は目を見ひらいた。その顔も面白かったのか、上城はさらに口元を和らげる。優しげな微笑みだったので、怒ってないとわかって陽向もほっとした。
膝の上に揃えていた拳に、上城は自分の手を重ねてきた。
「今夜は泊まってけよ。明日の朝、家まで送ってってやるからさ」
包み込まれるまれるようにして握られる。また心臓が勝手に踊りだしたが、けれど冷静さが残っていた頭は、翌日の講義のことを思いだした。
「……すいません。明日は、朝から学校があるんです。遅刻できない講義なので、今日は帰らないと」
「そうか」
答えを予想していたらしい上城は、無理強いはしなかった。
「だったら、そろそろ戻らないといけないな。遅くなるとこの辺も物騒だから」
時計を見れば、午前一時をすぎていた。確かに真夜中にひとりで歩いて帰るのはちょっと怖い。このまえのことがあるので、少し慎重になる。
「送ってくよ。家はどのあたり?」
上城が腰をあげたので、陽向も立ちあがった。
「あ、えっと、駅まえから歩いて十五分くらいのところです」
言いながら、送ってもらうなんてなんだか女の子みたいだ、と恥ずかしくなった。男のくせにひとりで夜道も歩けないとか。けれど、またあのときの集団がいたらと思うと、情けないが自分だけで対処できる自信はない。上城がいてくれたら心強いのも確かだった。
ふたり揃って、玄関を出て階段を下りる。店を抜けて通りに出ると、上城は陽向の手首を握ってきた。あれ、と思ったが、相手はなにも言わずにまえを歩いていこうとする。
お宮通りは宴もたけなわという雰囲気で、狭い道にはそれなりに人がいた。皆、酔っ払っていて足元の覚束ない人たちばかりだった。誰もこちらを気にする様子はなかったが、手を引かれて歩くなんて、本当に女の子扱いされているような気がしてしまい頬が熱くなる。上城は平気な顔をして歩いていたけれど。
暖かい明かりが、周囲を照らしていた。店からもれる光に、小さな街灯のともしび。ネオンサインという言葉が似つかわしい照明の入った、一昔まえのデザインの看板。聞こえてくるのは知らない演歌で、暖かい匂いはおでんや焼き鳥のようだった。
不思議な空間を、ふたりで歩いている気がした。どこか昭和の時代にタイムスリップしてしまったような。
「マスター、今日は休み?」
すれ違う人のよさそうな親父が尋ねてくる。
「ええ、休みですよ」
「そっか。なら明日行くわ」
手をあげて、赤ら顔をくしゃくしゃにして笑う。上城もいつもの営業用スマイルを返した。けれど、やっぱり陽向の手は離さなかった。
数百メートルの通りは、楽しみながら歩いていけばあっという間だった。お宮通りを抜けてしまうと現実が戻ってきたように、普通の、ありきたりの道路が広がっている。
通りの外には、青白い街灯と、時折走り抜ける車がある程度だった。
昼間しかあいていない店は、今はシャッターを下ろしてひっそりとしている。上城は通りを出るといったん手を離し、今度は指を重ねあわせるように握ってきた。いわゆる、恋人つなぎというやつだった。
暖かい手のひらや、くすぐるように絡めてくる指が皮膚だけでなく心も刺激してくる。気恥ずかしさよりも、じんわりとした嬉しさが込みあげてきた。
上城は無言のまま、線路沿いを歩いていく。その先には、駅まえに通じる踏み切りがあった。終電は行ってしまっているので、遮断機が降りてくることはない。線路をふたり手をつないだまま渡った。上城はなにも言ってこない。どうして黙ったままなのかと思うけれど、自分だって話しかけるいい言葉は見つからなかった。多分、相手もそうなんだろう。この夜の、静かな時間を言葉ではなくつながった手の先だけで、想いを行き来させる。
陽向はまえを行く人の背中を見あげた。今日はグレーの長袖シャツに、黒のデニムパンツという服装をしている。上城は決してガタイがいいというわけではない。背は高く筋肉質の身体をしているが、全体的には細身である。しかしその背中は、今はとても広く見えた。
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