ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 18
本当に、この人とやっちゃったんだなあと、身も蓋もない表現ではあるが感動してしまう。憧れだけかと思っていた。最初に助けてもらったときから、格好いいと感じてはいたけれど、まさかこんな展開になるなんて思いもよらなかった。
バーテンダー姿も、ボクシングをする姿も、どちらにも同じほど惹かれた。こんな人になりたいと思うのは今も変わらないけれど、それが恋に結びついている。
自分はもう、女の子を好きになることはないだろうな、とまっすぐにのびた背を眺めながら感慨にふけった。それでも、後悔とか迷いとかいった負の感情は驚くことに全くなかった。今はただ、この人と気持ちがつながって、ありえなく幸せだという気持ちしかなかった。
自分の中に眠っていた本質を、教えてくれたのはこの人だ。
上城がいなかったら、もし出会わなければ、まだなにも知らないままだったろう。心の層は幾重にも深く重なっていて、その下になにがあるのかは、自分自身でさえ簡単に気づくことはできなかった。
女の子と友人同士のような淡い付きあいしかしていなかったときは、それが普通で、自分の恋愛の仕方はこうなんだと思い込んでいた。けれど、上城に瞳をあわせられたとき、身体の深層に眠っていたなにかが大きく揺り起こされた。それが本来の姿だったのだ。
それがわかって嬉しい。天と地がひっくり返るような、ありえない恋愛観の変化だったけれど、受け入れてしまえばこちらの方がずっと自然だった。
夢心地の足どりで、目のまえの人についていく。
「陽向」
そうしていたら、振り向いて上城が訊いてきた。
「はい……」
トロンとした顔をしていたらしく、上城は陽向の表情を見て目を瞬かせた。
「……おまえの家は、どっち?」
いつの間にか駅まえへ出ていた。近くに表通り商店街の明かりが見える。
「あ、はい。えっと、こっちの道です」
商店街には入らず、脇の道にそれるルートを示す。指さして説明すると、上城は「やっぱ送ってきてよかった」と呟いた。
「顔が半分、溶けかかってる」
「え?」
指先にぎゅっと力が込められる。
「ゆるキャラが更にゆるゆるになってるから、危なっかしい」
「……そんな」
気の抜けた顔になっているのだろうか。けれどしまりのない表情になってるのは、自覚があった。人通りのない真夜中だったからよかったけれど、昼間だったら憤死ものだ。陽向は恥ずかしさを誤魔化すために、今度は自分が率先して道を行こうとした。
そのとき、不意に後ろから声をかけられた。
「礎」
低くドスの効いた男の声に、上城の腕がピクリと動いた。立ちどまり、ゆっくりと振り返る。背後の暗闇の中に、人影がひとつだけ浮かんでいた。影は潜んでいた闇の中から、身を起こすようにしてやって来た。街灯が届く場所まで出てくると、手にしていた煙草らしきものを道路脇に投げ捨てる。
明るいところに来てやっと、相手がこのまえ陽向の股間を蹴りあげた男であることがわかった。四人組のリーダーで、確か畠山と言う名前だったはずだ。
「こんな時間にイチャコラしやがって、楽しそうだなあ」
ニヤけた笑いを顔に貼りつけていたが、目つきだけは異様に鋭い。上城はなにも言わず、相手を睨み返した。
「俺はおまえにオンナ取られてから、ひとり寂しくすごしてるっていうのによ」
男がずいとまえに進み出ると、上城は陽向を背後に隠すようにした。
陽向は上城の後ろから、ふたりを見比べた。数日まえ、多田が教えてきた噂話が思い浮かぶ。畠山と上城は、以前は仲間だったということ。そうして上城が畠山の恋人を横取りして、仲が決裂したということを。
「おまえ、ナツキをどこへやったよ?」
畠山が脅し口調で尋ねてくる。上城は冷静に、それに答えた。
「あいつは、あんたの手の届かないところに逃がした。もう会うこともないだろう」
「ふざけやがって」
怒りを込めた声で吐き捨てる。そうしてから、後ろの陽向に値踏みするようないかがわしい目を向けてきた。ギラギラとした生臭さの漂う目つきは、尋常さが失われている。思わず背筋が寒くなった。
「だったら、おまえのオンナを代わりによこせよ」
顎をしゃくって、陽向を差しだせと身振りで示してくる。陽向は眉をひそめた。自分は男であって、女ではない。なのに、なぜ自分をよこせと言ってくるのか。
そこではじめて、陽向は『オンナ』というのが、女性を示しているのではないと気がついた。この男にしてみたらきっと、女扱いする相手が『オンナ』なのだ。ということは、ナツキという人も女性ではないのか。陽向はかたわらに立つ相手を見あげた。上城は警戒心もあらわに相手を睨みつけている。陽向をまえにださないように気をつけて、護るための壁になろうとしていた。
畠山がじりじりとせりだしてくると、上城はこのまま退くことは無理と判断したのか、陽向の手をそっと放した。
「少し離れてろ」
顔をよせて囁き、陽向を後ろに押す。なにもできない陽向は言われた通り、数歩後ずさった。畠山が手のひらを胸まで持ちあげて、拳を作る。身体を揺らして準備運動のような動きを始めた。
「何度も言うけれど、あんたは俺には勝てないよ」
上城はまだ、手を下ろして仁王立ちしたままだった。相手にならないというように、少し首を傾げて見せる。不遜な態度だった。
「ふざけんなよ。てめえにゃいくつも借りがあるんだ。……ここでまとめて返してくれるわ」
暗い夜道でふたりが対峙する。陽向は距離を取って、ハラハラしながら成り行きを見守った。
誰か、助けでも呼ぶべきなんだろうかと周囲を見渡す。けれど上城の余裕のある様子に、このまえのように相手がやられて退いていく気もした。どうしようかと迷っていたら、後ろから「ひっ」という小さな悲鳴が聞こえてきた。
振り向くと、若いカップルがこちらを怯えながら凝視していた。畠山が睨みつけると、こそこそと逃げるように駅まえの明るいところへと去っていく。真夜中の横道には、それ以外の人影はなかった。
畠山が陽向に目を移して、舌なめずりしながら言ってくる。
「そいつをよこしな。それでチャラにしてやってもいいぜ」
「断る」
上城は陽向にちらりと視線を走らせると、その言葉に刺激されたかのように、拳を固めた。
先に動いたのは畠山だった。
薄暗い街灯の下、目にもとまらぬ速さで上城との距離をつめてくる。けれど上城は、相手の動きを見切っていた。上体を反らせたかと思うと、肘で相手の拳をかるく受けとめ、そのまま横に大きく払って、相手の体勢を崩させた。
「……っのやろ」
振り向いた畠山がまた、殴りかかろうとする。しかしそれも、上城は身体を引いてかわした。
身のこなしが早すぎて、陽向の目ではついていけなくなる。畠山の動きも素人のものではなかった。そして、上城の敏捷さはその上をいっていた。
上城は自分からは叩きのめしに行こうとはしない。避けることに終始していた。相手が疲れるのを待っているようだった。
「ちゃんと練習に励んでれば、それなりにプロとしてやっていけたのに」
激しく動きながらも、静かに諭す。
「……るせえっ」
煽り文句を受けて、相手は声高に反発した。しかし数発繰りだすも、まともに当たる気配はなかった。
「畠山さん」
かるくステップを踏むようにしていた上城が、丁寧に、けれど冷たい声で呼びかける。
「そろそろ殴ってもいいですかね?」
言われて、畠山は顔を真っ赤にして激高した。
「てっめえ、馬鹿にしやがって」
息があがり始めた畠山が、大ぶりのパンチを振りだす。ふらつく足元に、もう勝負は見えているようだった。
陽向がふたりのやりあいに注意を引きつけられていると、いきなり背後から野太い怒鳴り声が響いてきた。
「おい、おまえたち、そんなところでなにをやってる」
驚いて振り返ると、暗闇から大声で叱りながら、ふたりの警察官が夜道を走ってくるのが見えた。
駅まえにある交番から駆けつけてきたらしい。
その姿を見て陽向はホッとした。もしかしたら、さっきのカップルがしらせてくれたのかもしれなかった。
「喧嘩はやめろ」
警官ふたりは、畠山と上城の間に割って入るようにした。互いを引き離し、そうして顔を確認する。
するとなぜか、突然、大きな声で怒りだした。
「なんだ。また、おまえらかっ」
警官のひとりは陽向らよりもずっと年上で、見るからに厳つい顔をしていた。もうひとりは若かったが、同じようにこの騒動に面倒そうな顔つきになった。
「こんなところでなにやってるんだ。また騒ぎを起こすならしょっ引くぞ」
年配の方が厳しい口調で、ふたりを叱る。
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