ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 19


「いやぁ、騒ぎなんか起こしてませんよ。ちょっとふたりで練習してただけですよ。なあ礎」
 上城から引きはがされた畠山が、薄ら笑いを浮かべて言い訳をした。上城が反発するように、鋭い刃のような視線を畠山に向ける。しかし否定はしなかった。
「いい加減にしろよ。練習ならよそでやれ。こんな時間に迷惑かけるんじゃない」
 警官がまるでふたりを仲間とみなしたかのような言い方をする。
「飲んでんのか? おまえら、ああ?」
「飲んでませんよ」
「ならもう帰らんか。練習はジムでやれ」
 わかりましたよ、と言うように畠山が両手をホールドアップする。へらへらと笑いながら後ろ足で離れていこうとした。
 警官は、上城にも「ほら、おまえも帰れ」と胸を手でつついて粗暴な扱いをした。上城は言い返しもせず、ただ畠山に対するのと同じような眼差しを向けただけだった。
 警官らは陽向にも近づいてきた。戸惑う陽向に未成年かどうかの確認を取り、成人とわかると早く帰るようにと注意だけする。もう一度、上城に一言二言居丈高な態度で警告すると、それで用は済んだのか、犬でも追い払うかのように手を振った。
「さあ、早く行け」
 上城が急いで陽向の元にやってくる。
「行こう」
 と静かに言って、腕を掴んできた。さっきと異なり、腕を服の上からかるく捉える程度で、友人を促すような仕草だった。
 見渡せば、畠山はもうどこにもいなかった。警官が来て恐れをなしたのか、それとも上城にやられそうになっていたので、これ幸いと逃げていったのか、闇の中に男の影はなかった。
 陽向は仕方なく、黙って上城に従った。一歩踏みだし、警官らをあとにしようとすると、いきなり背後から大きな舌打ちが響いてくる。
「おまえらみたいな人間は、薄汚い裏通りから出てくるんじゃねえよ」
 と、聞こえよがしに言い捨てられた。
 陽向はその言葉に、冷水を浴びせかけられたようになった。まるで自分が言われたかのように、呆然としてしまう。
 振り返れば、警官らは陽向たちが去るのをじっと警戒する目つきで眺めていた。明るい街明かりを背に受けて、見張るように佇んでいる。
 それは、どう見ても一般人に対する態度とは思えなかった。
 陽向が思わず足をとめてしまうと、上城が掴んでいた腕を引く。見あげたその顔は強張っていた。街灯を反射して、引き結んだ口元に憤りを押し隠している。陽向が驚いていると、強く手を引かれたので、慌てて連れ立ってその場を離れた。
 かける言葉が見つからないまま夜道を歩いて行く。
 さっきまでのふわふわとした空気は霧散してしまい、どこにも残っていなかった。
 まえを行く上城は、一言も発してくれない。陽向はやむをえず灯にのびる影を見つめながら、無言でついていった。
 暗い街路に、ふたりの足音だけがひたひたと重なる。
 警官が投げ捨てていった言葉が、耳から離れなかった。どうしてと、考えてしまう。
 あの畠山という男が警官から疎まれるのは納得がいくが、なぜ上城まであんな扱いをされなければならなかったのか。上城は警官たちにも睨むような眼を向けていた。顔も覚えられている様子だった。
 そうして先刻の畠山とのやり取り。上城とはどういう仲で、ナツキという人とは、どんな関係だったのか。
 やがて、駅まえのビル街を抜けて住宅街へと入ると、街灯以外の明かりもなくなり、道路はしんと静まり返った。陽向の住む学生マンションは住宅街の一角にある。途中で道順を訊かれたので、簡単に説明した。
「大丈夫か」
 マンションのまえまでくると、そこでやっと上城は腕を離して、気遣う言葉をかけてきた。
「……え、ええ。俺はなんとも……」
 ぼんやりしながら答える。
「悪かったな」
 短く謝ると、上城はもう一度、陽向に手をのばしかけた。
 けれど途中で思いなおすと、それを引っ込めてしまった。拳をぎゅっと握りしめ、触れるのを我慢するようにする。
 上城自身も警官が投げた言葉を、陽向に聞かれてしまったことが不本意だったらしい。陽向もどう反応していいのかわからずに、ただ立ち尽くした。
「……送ってもらって、ありがとうございます」
 しばしの沈黙のあと、一言だけやっと告げてぺこりと頭をさげる。顔をあげれば、上城はじっと陽向を見下ろしていた。
 少しの間、なにか言いたげにしていたけれど、言葉がうまく見つからなかったようで、やがて「じゃあ」とだけ残して来た道を引き返していった。
 去っていく姿を、エントランスのまえで見送る。上城は振り向かなかった。闇の中、後姿が次第に溶けるように小さくなっていく。
 陽向は心の中に色々なもやもやを抱えたまま、どうすることもできずに消えていく背中を眺め続けた。


 ◇◇◇


 翌日、陽向は学校が終わるまで、落ち着かなくすごした。
 講義の合間も暇さえあればスマホを取りだして、メッセージが来ていないかどうか確かめる。上城からは、なにも送られて来ていなかった。
 昨夜のことが気になって、あれから朝までほとんど眠れなかった。こちらからメッセージを送ろうかと幾度も思い、しかし途中でその手をとめてしまっていた。なんと打ち込んでいいのかわからなかったからだ。
 携帯を抱えたまま、あれこれと考え込む。そうして、陽向がこうやって悩んでいるということは、たぶん、向こうも同じように悩んでいるんじゃないかと思えた。昨晩の警官の捨て台詞で、上城も嫌な気持ちになっているはずだろうから、きっと言いたいことはあるけれど、それをどうやって言葉にしたらいいのか迷っているんだろう。だからお互い、相手の携帯を震えさせることができないでいるのだ。
 陽向は学校帰りに、ザイオンに行こうと決めた。本人に直接会って話を聞きたい。店が忙しいようだったら、終わるまで待って、それからふたりで話をしたかった。もし言い難いことがあるのなら、無理に尋ねるつもりはなかったが、顔を見て近くにいて安心したい。
 講義が終わったあと、午後六時をすぎてから学校を出る。一か月まえに決まった就職先について担任と面談していたら、いつもより遅くなってしまった。けれどこの時間ならまだ、お宮通りも深夜のように酔っ払いが多く出入りしていることもないだろうからと、急いで駅裏へと向かう。
 線路沿いに進み、もう見なれたアーケード街の入り口が視界に入ると、陽向はなぜか怖さではなく、郷愁にも似た奇妙な感傷を覚えた。
 ここには上城がいる。この奥に、幾度も通ったバーがある。そう思うと、最初は古くて薄汚れただけに見えた通りも、どうしてか味のある場所に思えてきた。昭和の佇まいを残す通りは、寂れていて人通りも決して多くはなかったけれど、古さがあるからこそ前時代から引き継いできた大切なもののように感じられる。好きになると、こんなにも見方が変わるものなのかと不思議な気持ちになった。
 『お宮通り』と書かれた、入口に掲げられた年季の入った看板を見あげていると、後ろから「小池さん?」と名前を呼ばれた。
 振り向けば、両手に買い物袋をさげたアキラが立っていた。
「あ、こんにちは」
「こんちは? もしかしてうちにくるところでした?」
「あ、はいそうです」
 まえにもこの時間帯に、ここで買いだしのアキラと会ったことがある。陽向は彼に会えたことに感謝した。昨夜の畠山とのことがあったから、やっぱりちょっとひとりで通りに入るのは、ためらわれていたのだ。
「今日は、桐島さんは一緒じゃないんですか」
「はい、俺だけです」
 連れ立って歩きながら、ザイオンへと向かう。通りの店はどこも開店準備に追われているようで、ドアをあけて掃除をしているスナックや居酒屋、仕込みをする焼き鳥屋などが続いていた。
「そっかあ。それは俺にしてみれば、ちょっと残念」
 にこにこするアキラは、気さくで愛嬌のある顔立ちをしている。店では静かな上城とは対照的なムードメーカーだった。
 ザイオンにつくと、アキラは鍵を取りだして樫の扉をあけた。プレートをクローズからオープンにかえて中に入る。店の中は暗く、アキラが壁際のスイッチを入れて明かりをつけた。
「あれ? 今日は上城さんは?」
「ああ。上城さんは、今、ここの通りの店主の集まりに参加しにいってます。この近くの店で、定例会です」
 アキラがカウンター内に入り、買ってきたものを袋からだしながら説明する。陽向はとりあえず、カウンターのすみに席を取った。
「毎月一回、有志の店主らが定休日の店に集まって、三時頃から一時間ほどこの通りについて会合を持ってるんですよ。ここんところ、お宮通りも色々問題が多くなってきてるから、きっと今日の定例会も長引くんじゃないかな」
「問題が?」
 手元を動かすアキラを話相手に、陽向は上城が戻るのを待つことにした。



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