ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 20


「ええ。ほら、ここって駅まえ再開発から取り残されてるでしょ。駅まえは明るくて活気があるけど、こっちは裏通りで寂れていく一方で、そのせいかむこう側にはじかれた奴らがこっちに流れ込んできてるってまえに言いましたよね。小池さんらに絡んだような連中が」
 チーズやサラミを冷蔵庫に入れて、チョコレートやナッツは棚にしまっていく。
「……ええ」
 畠山のような奴らのことか。
「それで、ここいらの店主仲間で、対策をどうするかって話が出てるんですよ。警察も駅まえの浄化に忙しくて、こっちはいつもあとまわしの扱いになってるし」
 キウイやライム、オレンジなどの果物は冷蔵庫に入れて、ミントの葉は洗ってザルにのせた。
「駅まえに大きなショッピングセンターができて、市長が街の活性化っていって人を呼ぶのに懸命になってて、それに警察署長も賛同してるもんだから、駅まえ優先で治安維持に力入れてるんです。だからこんな小さな通りには手が回らないそうで。昔からここのことを知ってる俺らにしてみれば、なんだそれ、って感じなんですけど」
 なにか、飲みますかと問われて、陽向はいつものハイネケンを注文した。
「アキラさんは、昔からここに住んでるんですか?」
「うん。俺んち、ザイオンの二軒隣。母親がスナックやってたから」
 顎をしゃくって、右側の壁を示す。そちらにアキラの実家があるらしい。
「ここの店には小さい頃から遊びに来てたから、上城さんのことも、上城さんの親父さんのこともよく知ってます」
 アキラが冷やしたグラスにビールを注いで、コースターにのせると陽向に差しだした。ロンググラスに綺麗なフロストがかかる。
「上城さんのお父さんって、……もう亡くなられているんでしたよね」
「ええ。そうですよ。見ます? 写真あるから」
 そう言うと、アキラはレジの下から写真立てをふたつ取りだした。ひとつずつ、丁寧に手渡してくる。陽向は両手でそれを受け取った。
 ひとつは古い写真だった。ボクシングパンツをはいて、バンテージを巻いた若い男がこちらに向かって腕をあげたポーズをしている。顔つきがなんとなく上城に似ていた。上城よりも細くて、野性的な目をしている。
「その人が、上城さんのお父さん。アマチュアでずいぶんいい成績を残して、けれど夢途中で怪我で引退されたらしいんです」
 陽向は頷きながら、カウンターにそっと写真立てをおいた。
「俺が物心ついたときは、親父さんはもうこの店でバーテンダーやってたんですけど。なんていうか、寡黙で男らしくて。けど、みんなから慕われてて。えと、……ほら俳優でいましたよね、なんとかかんとかっていう昭和の名優」
 えっと……と考え込むアキラに思いついた名前を告げる。
「高倉健?」
「そうそう、その人。高倉健に似てたんですよ」
 陽向も高倉健のことは、テレビ放送の映画で観た程度しか知らなかったが、確かに寡黙で男らしい俳優だった。
「上城さん、親父さんのこと、すごく大事にしてて。ボクシング始めたのもアマチュアにこだわってやってたのも親父さんの影響で、高校の頃はインターハイで何度もいい成績残してたんですよ」
 陽向は、もうひとつの写真立てに目をやった。そこには今より若い上城が写っていた。高校生の頃なのだろうか。同じ選手らと並んで写真におさまっていた。
「オリンピック目指すかって話もあって、大学も決まってさあ進学だってとき、けど、親父さんが……病気で倒れちゃったんです」
 アキラが、カウンターに空のグラスをいくつも並べる。ひとつずつ手に取って、専用の麻の布で磨き始めた。
「すぐに入院になってしまって。ちょうどこの店が改装したばかりで借金もあったから、上城さんは仕方なく、進学あきらめて店を継ぎながら親父さんの世話に専念することにしたんです」
「そうだったんですか」
 冷えたビールを少しずつ飲みながら話を聞く。多田の話が、また思いだされた。事情があって大学に行かなかったのだと、確か言っていた。上城が大学に進学しなかったのは、そうしたくてもできなかったかららしい。
「あの頃の上城さんは大変そうだったな。俺はまだ未成年で、ここの手伝いはできなかったから見てるだけだったけれど。毎日、なれない店のことをして、入院している親父さんを見舞って、バーテンダーの勉強をして。けど、きっと治って帰ってくるって信じてたんだと思う。親父さんのためにこの店守らなきゃって。いっつも言ってたから」
 陽向は顔をあげて、店の中を見渡した。
 お宮通りには珍しい、お洒落な内装の、落ち着いた雰囲気。流れるBGМは古いフュージョンで、そこにも店主の趣味が表れている。ここは、上城の父親が作った店だったのだ。
「だからあの人、ここに店構えるのにこだわってるんですよ。ここを売って、他に立地条件のいい場所に移れば、上城さんならお客だってもっとたくさん来るだろうに。けれどそうしないのは、親父さんの遺志や、親父さんの代からの常連さんのためなんです」
 陽向はグラスを傾けながら、ふと疑問に思ったことを口にした。
「上城さんは、お母さんは?」
 それに、アキラはグラスを慎重に並べながら答えた。
「父子家庭だったから。お母さんは上城さんが八か月のときに出ていっていなくなっちゃったって」
「それは……」
 聞いてはいけないことを安易に尋ねてしまったようで、陽向は言葉途中で口を噤んた。
「俺んちも母子家庭だったから。上城さんにも親父さんにも可愛がってもらってた」
 思いだすようにして、へへ、と笑う。陽向の気まずさを吹き飛ばすように笑顔を見せる。気を使ってくれたのだとわかった。
「だから、親父さんが、闘病の末に亡くなられたときは、上城さんはそりゃあもう、落ち込んで、抜け殻みたいになっちゃって……」
 グラスを扱う手をとめる。
「見てるこっちの方が、つらくてたまんなかった」
 そのときのことを語るのには笑っていられなくなったようで、アキラも声のトーンを落とした。
「高校卒業してからもジムには通っていたみたいなんだけど、それもやめちゃって。毎日、店の隅に座ったまま、ぼーっとしてたんですよ。あの上城さんが」
「……」
 ボクシング選手として活躍する夢をあきらめて、大切な肉親も亡くしてしまい、店を守る意味もうしなって、将来になにも見いだせなくなってしまったんだろうか。
 陽向には両親も揃っているし、大して大きな夢を持っているわけでもない。だから、上城の気持ちを全て理解することはできない。それでも彼のその当時の喪失感を想像すること位はできる。きっとなにもかも無為に思えてしまったんだろう。
 写真の中の上城に視線を向ける。試合に勝ったあとにでも撮ったのか、表彰状を手に、同じ選手仲間たちと共に生き生きと笑っていた。
「けれど、今は、ボクシングにも通っているし、お店もちゃんと維持されてますよね」
「……ああ」
 アキラは時計を見て、それから店内を見渡した。まだ早い時間のせいか、他の客がくる様子はない。
「上城さんが立ち直れたのは、皮肉だけれど、さっき言ったお宮通りを荒らす奴らのおかげだっていうか……」
 陽向はビールをコースターの上において、黙って頷いた。上城のことならなんでも知りたいからたずねたいことはたくさんあったけれど、自分の方から聞くのは遠慮して、アキラが話を続けてくれるのを待った。
「このまえ、小池さんらに絡んだ連中いたでしょ。あのリーダーって奴が、まえにも騒動を起こして」
「畠山、って人ですか?」
「知ってるんですか?」
 アキラが顔をあげてくる。
「ええ。上城さんから聞きました。あの人もボクシングやってたんですか。構え方とか、素人とは思えなかったから」
「あー……」
 アキラは少し、言い淀むようにした。あいつのことは口にしたくもないといった表情だった。
「あの人、上城さんと同じ山手ボクシングジムに所属していたプロなんですよ。けど試合に勝てなくて、腐っていって、問題行動ばっかり起こすようになったからジムをやめさせられたんです」
 そうだったのか。多田が、ふたりがむかしは仲間だと言ってたのは、そのことを指していたのかもしれない。同じジムに所属していたのなら、選手同士の交流もあっただろうから。
「今はどこかから、得体のしれないドラッグやハーブとかを仕入れて、売り歩いてるって話。本人は合法だって言ってるらしいけど。危ないこともしてるようだし、できれば関わりあいになりたくないけど、お宮通りでも商売しやがるから。どうしても上城さんとも顔を突きあわせることになっちゃって」
 男とのことを話すと、アキラは口を真一文字に結んだ。上城と畠山との間には、色々と難しいしがらみがあるらしい。
「それで、確か、三年ぐらいまえだったかな。あの最低野郎が、付きあってる恋人に無理矢理ウリやらせようとして、その相手が泣きながらうちの店に逃げ込んできたことがあって」
 その話題に、陽向は思い当たる人の名をあげた。
「もしかして、ナツキって人……」
「あれ、それも知ってるんですか」
アキラが意外だという顔をする。



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