ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 21


「上城さん、小池さんにはなんでも話すんですね。あんまり自分のこと他人には喋らない人なのに」
 知らなかった、というように仲のよさを指摘されて、陽向は思わずグラスに視線を落とす。
「……それでナツキって人はどうなったんですか」
 上城との間柄については言及されたくなかったので、陽向は先を促した。
 ナツキという人に関しては、どうしても知りたいという気持ちが働いてしまう。どういういきさつがあったのだろうかと興味がわいてしまうのだった。
「ナツキさんは、この近くのバーで働いてた人なんです。畠山とトラブったあと、バーをやめてしばらく上城さんがこの上の部屋に匿ってたんですよ。その後、俺の母親の知りあいを頼って、この街からは離れましたけど」
「へえ……」
「けど、あの畠山って奴が、上城さんがナツキさんを隠したことを知って、酔っ払いながら怒鳴りこんできたんですよ。ザイオンのまえで殴りあいの大喧嘩に発展して、それで警察がきて、上城さんも奴と一緒につかまって留置所に入れられちゃって……」
「そんな……。でも上城さんは悪いことしたわけじゃないんだから、すぐに出られたんでしょう?」
 警察の話が出て、昨夜の警官の態度を思いだす。上城に対し『薄汚い裏通りから出てくるな』と言っていたことを。
「次の日には出られましたよ。けど、上城さんの身柄引受人が、山手ジムのトレーナーだったことで、警察じゃボクサー崩れの仲間割れだって思われちゃったんです。畠山も嫌がらせみたいに、友達のように警官のまえではベタベタ仲よく振る舞ったんですよ。だから警察には上城さんもあの集団のひとりって認定されてる。ムカつくけど」
 だからあんなひどい言葉を投げかけられたのか。
「あいつ自分だけが堕ちてくのが嫌で、上城さんも巻き込もうとしてんだ」
 忌々しそうに呟くアキラに、陽向は上城の心情を思った。警官に心ない台詞を吐き捨てられて、それでも口答えもせずに黙っていた姿は、もちろん、盾突けばまた心証を悪くするだけだからそうしたのだろうけれど、誤解されたままという状況は、本当は納得できるものではなかったろう。警察官らはお宮通りに対する偏見もあるのかもしれない。薄汚い裏通りという言い方はあまりにもひどかった。
 しかし、考えてみれば自分だって最初はここに対して、いい印象は持っていなかったのだ。なにも知らない部外者だったから、面白半分に探検などと言って興味本位にのぞきに来ていた。上城が最初に陽向らに会ったとき、態度が冷たかったのは、こっちが冷やかしの学生だとわかっていたからかもしれない。陽向はそのこと思いだして恥ずかしくなった。
 気がつけば、陽向のグラスは空になっていた。アキラがもう一杯どうですか、と手のひらを上にして尋ねてくる。陽向はウイスキーのロックを注文した。
「俺、上城さんみたいに綺麗に丸く氷を削れないんですけど、いいですか」
 遠慮がちに訊いてくるアキラに、構わないですと答える。陽向がロックを注文するとき、上城はいつも氷をアイスピックでまん丸に形作ってからだしてくれるからだった。
 氷を砕く音が、静かな店内に響く。それに重なるように、昔どこかで耳にしたフュージョンが聴こえてくる。落ち着いた、ゆるやかな時間が流れていた。
「どうぞ」
 しばらくすると、少しいびつな氷の入ったロックが差しだされた。口に含めば、モルトのいい香りが鼻から抜ける。
「おいしいです」
「ならよかった」
 ちょっと心配そうだったアキラが、安心した表情になった。
 陽向はオールドパーの甘い匂いをかぎながら、ここに住む人たちや上城のことを考えた。彼については知らないことがまだ多い。
「でもね、上城さんは、一晩、留置所ですごして、戻ってきてから人が変わったようにジムにまた通いだしたんですよ」
 アキラがボトルを棚に戻しながら、話を続けた。
「そうなんですか」
 上城の話がとまらないところを見ると、彼も上城のことを慕っているのだとよくわかる。
 そのとき、アキラが「あ」という顔をして急に背をのばした。ポケットからスマホを取りだして、画面を確認する。どこからか連絡が入ったらしい。陽向にすみませんと断ってから、カウンターの奥に移動して電話に出た。
 陽向は黙って店を見渡しながら、ウイスキーのグラスを傾けた。
 客はまだ陽向ひとりだ。いつもザイオンは九時すぎから人が入り始める。まだ早いこの時間は、すいていることが多かった。
 はい、はい、わかりました、とレジの裏でアキラが返事をしている。
 少し話し込んだあと電話を切って、カウンターの外に出てきた。
「すいません。今、上城さんから電話があって、会合が長引きそうで何時に終わるかわからなくなったから、とりあえず臨時休業の札出しといてくれって言われたんで、一応、お店しめときますね」
 アキラは扉をあけて外に出ると、プレートを裏返した。カウンターに戻ってきたところに、陽向も声をかける。
「なら、俺もこれで帰ります」
「え、いいですよ。小池さんはゆっくりしていってください。せっかく来てくれたのに」
 手をあげて引きとめようとするが、その顔はちょっと心許なさそうだった。
「っていうか、俺ひとりじゃまだうまく店回せなくって……カクテルも上城さんみたいにうまく作れる自信ないんですけど」
 あげた手を頭に当てて、髪をかく姿に陽向も笑顔になった。
「今日は上城さんに会いに来たんで。いないならまた出直してきます」
 グラスに残っていたウイスキーを飲みほして、会計をお願いする。「すいません」と謝るアキラに構わないと告げて伝票を待っていると、精算しながらアキラがぽつりと呟いてきた。
「上城さんが立ち直ったのは、俺が思うに、多分ここで、自分がやれることを見つけられたんじゃないかなって……」
 さっきの話の続きらしい。まだ言い足りない部分があったようだった。
「やれること?」
 千円札を二枚、手渡しながら尋ねる。アキラが釣銭を数えてから返してきた。
「そう。自分が守らなきゃいけないものを新しく見つけたっていうか」
「……つまり、ナツキさんを?」
「ていうか、ここの通りと店とをってこと」
  にこっと笑顔を見せてくる。
「あと、ここに来る人みんなをね。小池さんのように」
「……」
「あの人、今は、お宮通りのバーテンダーと用心棒を楽しんでやってるみたい」
 愛嬌のある朗らかな笑顔に、陽向もつられて微笑んだ。スツールをおりると、アキラが戸口まで先に歩いていき、扉をあけ見送りをしてくれる。
 店の外から涼しげな夜風にのって、古い通りの雑多な匂いや音が流れ込んできた。
「上城さんには、小池さんが来てくれたこと、伝えときますね」
「……いや、いいですよ」
「けど、会いたかったってことは、用事でもあったんじゃないですか?」
「いえ、その、ただ顔見て安心したかった、っていうだけで……」
 言ってしまってから、しどろもどろになる。二杯分のアルコールが効き始めているようだった。
「またきますね」
 陽向はそう挨拶をして店を出た。
 時計を見れば、午後七時すぎだった。通りはこれから人が増えていく時間だ。お宮通りは仕事帰りの労働者や、それにつられてやってくる年配者が多い。道路の両側からは、炭火で焼かれる串の匂いや、歩きながら話す人たちのざわめきが聞こえた。ここには新しい店はほとんどない。昔ながらの造りの店が軒を連ねている。
 色あせたプラスチックの看板が、あわい明かりを瞬かせている。『スナックゆみこ』と書かれた店の中からはこもったカラオケの演歌と、懐古調の音楽にのせられる調子っぱずれの歌声が響いていた。隣の店には模様入りのすりガラスがはまった木枠の窓があり、レンガの壁に貼りつけられた古いホーロー看板には、今はもう売っていない瓶のジュースが描かれている。
 焼き鳥屋の店先にビールケースが積まれ、ベニヤ板がのせられている。テーブルが足りなくて、外にまで張りだしているそこで、常連客らしき人たちが盛りあがっていた。
 何十年という時間をかけて作られて、時代と共にうつりゆく人や出来事を取りこんできた場所なんだなと、今までとは違う見方で眺めてみる。昭和という言葉は、平成生まれの自分らは、時に流行を外れた、時代遅れの象徴のように使ってしまうことがあるけれど、その時代をすごしてきたであろう人たちにとっては、なじみ深い古巣であるのかもしれない。いつまであるかわからない場所だから、いつまでも守りたいと思う気持ちが湧くのかもしれなかった。
 上城が、ここを大切にしようとする気持ちがわかる気がする。陽向は通りを見渡しながら、自分が生まれるまえの空気を味わった。
 彼に会いたい気持ちが、胸の奥からじんわりとわいてくる。会ってここのことや、それから彼のことを一杯話して、もっと色々と知りたい。
 昨夜のわだかまりをといて、好きだという気持ちを素直に伝えたい。
 陽向は通りの店、一軒一軒を楽しむようにゆっくりと歩いた。そうしてあと数軒で、通りも終わりというところで、ふと足をとめた。
 とあるバーのまえで、見覚えのある集団が立ち話をしていた。



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