ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 24


「今度、同じことがあったら、連絡しますよ」
「あ、ありがと。もう、二度としないわ」
 陽向の手を取って、店の外へ行く。通りに出れば、そこには髭の日坂という店主が立っていた。以前、陽向が股間を蹴りあげられたときに、上城と一緒に助けてくれた人だ。
「日坂さん、しらせてくれて、ありがとうございました」
「いや。いいけど。間にあってよかった。ちょうど、ここの店にも会合への参加を頼みにきたんだよ。そしたら彼が奥に連れていかれるのが見えて」
 日坂が無事でよかった、と安堵の息をつく。
「……ありがとうございました」
 陽向はズボンのベルトを直し、破れた上着を整えながら礼を言った。
「災難だったね。怪我は?」
「大丈夫です」
 自分がどれだけ殴られて、今どういう状態になっているのかよくわからなかったけれど、大丈夫とだけは答えられた。
「殴られたろ」
 上城が腕をのばして陽向の頬に触れてくる。触られると、皮膚がぴりりと痛んだ。張り手をされた場所だった。
 自分の服に目を向ければ、シャツはボロボロで、コットンパンツには靴跡がついていた。喧嘩の最中は無我夢中で気づかなかったが、身体も動かせばギシギシと軋む。けれど、さほど傷ついている感じはしない。
「全然大丈夫です。このくらい」
「大丈夫なもんか」
 上城が顔をしかめる。
「とりあえず、俺の店に行こう。そこで手当てしてやるから」
「……はい」
 助けてくれた日坂に礼を言って、ふたりでザイオンに戻った。店にはクローズの札がかかっていたが、鍵はしめられていなかった。あけっ放しで飛んできてくれたらしい。店の中は電気がついていたけれど、アキラはもう帰ったようでいなかった。
「救急箱はここにはないから」
 促されて、裏口へと回り外に出た。このまえと同じく外階段をあがって二階の住居に連れていかれる。
 玄関ドアの鍵をあけて先に中に入ると、上城はすぐにキッチンへと向かった。大きめの保冷剤を持って戻ってくると、玄関先でスニーカーを脱いだ陽向に渡してくる。受け取って頬に当てると、冷んやりとして気持ちがよかった。
「ほかに怪我は?」
 玄関の明かりの下、質してくる上城の顔は心配からか少し緊張しているように見えた。陽向をこんな目にあわせたことを、自分のせいだと責めているようにも思える。
「……ないと思います」
「じゃあ痛いところは?」
 陽向は自分の身体を検めるため、かるく動かしてみた。けれど、それほどの痛みは感じられなかった。
「骨とか、折れているような様子はないか」
「ないです。打撲はあるかもだけれど、そんなに痛まないから」
 安心させるように微笑んで見せる。しかし上城は厳しい表情を返してきた。陽向の頭からつま先にまで目をやって、まだ心配そうな顔をする。
「大丈夫です。上城さんも、殴られたでしょう」
 自分の手当てはあとまわしなのか、上城は腫れた口元もそのままにしていた。
「俺は殴られるのはなれてるからいいんだよ」
 そんなはずはないと思うのだけど、大したことはないという顔をする。
「おまえが連れ込まれたあの店はゲイバーだったんだ。あそこのマスターは顔見知りだけど、息子が……どうしようもなくって。畠山の仲間のひとりなんだ」
 そう言うと、ため息をついた。
「ずっと相談も受けてるから、警察は呼ばずにすませたけれど」
 怒りを押し殺した声で続ける。
「二度と同じことはさせない」
  アイスパックを頬に当てた陽向の手に、自分の指を重ねてきた。腫れ物に触るように、指先をほんの少しだけ撫でるように伝わせる。
「……間にあってよかった」
 安堵の言葉は吐息とともにもれた。陽向の無事と、怪我の具合を確かめて、やっと安心できたというような声音だった。
「日坂さんからしらせを聞いたときは、血の気が失せた。店に走っていく途中も、おまえになにかあったらどうしようかって、なにかされてたらって、……考えただけでおかしくなりそうだった」
「……上城さん」
 上城の指先がぎこちなく震えている。さっきの怒りがまだ尾を引いていて、触れることにも神経過敏になっているようだった。
「俺のせいで、おまえまでこんなことに巻き込んで……本当に、すまない」
 苦い口調で後悔を滲ませる。
「そんな、謝らないでください。上城さんのせいじゃないから」
 陽向は大きく首を振った。自分のことで、上城に責任を感じさせたくなかった。
「俺にだって、油断があったから。……だからあんなことになったんです。店に連れ込まれたときだって隙があった。それに、力では敵わないってわかってるのに、怒らせるようなこと言っちゃったし……」
 店の裏に連れ込まれたとき、畠山の怒りを煽ったのは自分の言葉だ。あのときは、殴られたって構わないという覚悟だったから平気だったけれど、そのことで上城にまで迷惑をかけるとは考えていないなかった。短絡的すぎた。
「怒らせるようなこと?」
 畠山に言われたことが思いだされて、腹立ちがよみがる。
「……上城さんのこと、馬鹿にするようなこと、あいつら……言ったから」
 事態を悪い方向に持って行ってしまったのは、自分のせいだ。
「俺が、自分で自分をちゃんと守れるようにしなかったのが悪いんです。自分の責任です」
「陽向」
「だから、上城さんは自分を責めないでください」
 顔をあげ、瞳をあわせて頼み込んだ。
「お願いします」
 上城の指は、まだ陽向のアイスパックを握った手に重ねられていた。
 けれど、それ以上は触れようとしてこなかった。懐抱するのをためらうようにしている仕草から、上城が今ここで陽向を抱きよせてしまったら、また危い目に遭わせてしまうのではないかと恐れているように見えた。
 もしかしたら、上城は陽向を守るために、別れを選ぼうとしてるんじゃないのかと、そんな考えが浮かんでしまう。このまま帰れ、もう会わない方がいいと言われたらどうしようと恐くなる。そしてもっと悪いことに、軟弱なくせにこんな騒動を引きおこした向こう見ずな奴は、もうお荷物だと思われてしまったらどうしようかとさらに不安になる。
「上城さん」
 陽向はもう一方の手で、上城の手の甲を包み込んだ。ぎゅっと力を入れて押しつける。
「……俺、上城さんのことが好きです」
 一途に見あげながら伝えた。
「好きです。だから、こんなことで離れたくない」
 心を読んだ言葉だったのかもしれない。
 相手は考えていることを言い当てられたというように、わずかに眉根をよせた。
「俺、全然怖くなんかなかったし」
 そうだ。畠山らに襲われて、最初は恐怖で身が竦んでしまったけれど、上城のまえで犯されそうになったとき、絶対に嫌だと身体が震えて――あのとき、自分は恐さもなにも感じなくなっていた。
 店に連れ込まれたときは怯えていた。けれど、奮い立った瞬間からは、まるで人が違ったみたいになにもかもが攻撃体勢になっていた。あんな自分になったのは初めてのことだった。
 陽向のひたむきな告白を聞きながら、上城の表情は、段々と緊張がとけて、安心した様子に変わっていった。陽向が決して強がりで言っているのではないことは、ちゃんと伝わっているようだった。
 やがて端正な顔に微苦笑を浮かべると、納得したように頷いた。
「そうだな。確かに、あのパンチは肝が据わってた」
「……え」
「ナイフも怖がらずに、素人とは思えないパンチを見舞ったからな」
「……」
「驚いたよ。あのときは」
 上城が、陽向の頬を両手で包み込むようにしてくる。大切なものを優しくくるむようにされて、それでやっと、上城の中から別離の選択が消えていったのがわかった。
「やっぱ可愛いよ、おまえは」
 自然な笑みを戻した相手に、陽向もほっとする。
 上城が顔をよせて、唇に触れようとしてきた。
 しかし直前で、お互い口元が腫れていることに気がつく。傷を避けるようにして、そっと唇の端だけ重ねた。
「陽向」
 囁きながら、撫でるだけのキスをしてくる。昂った気持ちも、それで次第に落ち着いていった。何度か擦られて、心地よさに目をとじた。
 けれどそうしていれば、段々と別の感情も芽吹いてくる。食むだけの口づけを幾度も交わしていたら、手元がもどかしくなってきて、陽向はアイスパックを頬から離すと両腕を上城の背に回した。
 上着をぎゅっと握りしめると、相手も傷を手加減する抑えが効かなくなってきたのかキスが深くなる。ふたりともいつの間にか口は大きくひらいて、互いの舌を探りあうように絡めていた。
「……まずいな」



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