ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 28


 ◇◇◇


 翌朝、目覚めたのはベッドの中だった。
 東側の窓から、アーケード越しの淡い朝日がさしこんできている。陽向はシングルベッドの真ん中にひとりで寝ていた。
「……あれ」
 周囲を見渡すが、誰もいなかった。部屋には自分だけだ。
 首の上まできちんとかけられていた上掛けを少しずらして、気配をうかがう。陽向は寝相がいい方ではないので、きっと上城が風邪を引かないようにかけてくれたのだろう。上掛けの下は裸のままだった。
 隣の部屋からわずかに音がもれ聞こえてくる。
 昨夜ともに眠った相手は、どうやら向こうにいるらしい。陽向はぎしぎし言う身体をシーツの上にゆっくりと起こした。
 あれからまた色々あって、お互い眠りに落ちたのは何時だったろうか。思い起こせば、衝撃的な一夜だった。けれど夜があけてみれば、そのことに馴染んでいる自分もいる。そっちの方が驚きかもしれない。ぼーっと陽の当たる部屋の中を眺めていたら、あけ放したドアから上城が寝室に入ってきた。手にはマグカップがふたつ。
「や」
 上城は少し照れたように、口元を綻ばせた。かるい挨拶は、お互いの気まずさを追い払うためらしい。陽向も寝癖のついた頭をぺこりとさげた。
「……はようございます」
 上城はスウェットを下にはいているだけだった。ベッドに腰かけると、陽向にカップのひとつを手渡してくる。熱いコーヒーが入っていた。湯気に目を瞬かせながら一口飲むと、いい香りがした。
「……」
 なにを話していいものやら、全くわからなくて黙っておいしいコーヒーを啜ってしたら、上城がぽつりと呟いた。
「もうここには来ない方がいいかもしれないな」
「えっ」
 飲みこもうとしたコーヒーにむせそうになる。
「な、なんでですか」
 いきなり予想もしていなかったことを告げられ、慌てて問い返した。
「なんで、やっぱ、寝てみたら、俺のこと、嫌になった?」
「まさか」
 違う、というように、上城は大きく首を振る。
「そうじゃない。反対だ」
「……え」
「おまえのことが心配だからだよ」
 視線を自分のカップに移しながら、真面目な表情で言った。
「ここに来るには、あのゲイバーのまえを通らなきゃいけないだろ」
  落ち着かなげに、手にしたコーヒーを睨む。
「あそこはお世辞にも雰囲気のいい店じゃないから。もしまたあいつらが来て、昨日みたいに襲われるようなことになったら、どうしたらいいんだよ」
「へ?」
「それに、おまえは可愛いから、絶対、ゲイバーに通う奴らに目をつけられる。声をかけてくる奴もいるかもしれない。そんな店のまえ、おちおち歩かせられっかよ」
「……」
 なにかすごいこと言われた気がした。
「だから、心配なんだよ」
 怒ったような口調で、カップを握りしめる。本気で陽向のことを案じているらしく、顔つきは真剣だった。
「……えっと」
 そこまで気にかけてくれるなんて思ってもみなくて、こっちも照れてしまう。
「だ、だったら、俺も、ボクシング始めてみようかな? とか」
 相手の心配顔につられて、つい口走っていた。
 言ってしまってから、え? まじで? と自分に突っ込みを入れる。いきなりなにを言いだすのか。そんなこと、今まで考えたこともなかったのに。
 自分の言ったことに、自分自身もびっくりしたが、上城も目を瞠った。ボクシングのような殴りあって血の出るスポーツなど、やってみたいと思ったことはないし、観戦しようという気になったこともなかったのに。
 けれど、昨夜の不良らのことがあって、あのときの気持ちの昂りというか血がたぎるような感覚は、今まで経験したことのないもので、それをまた体験してみたいとう気持ちは、自分の中に生まれては来ていた。
「まじか。だったら俺が相手してやるよ」
 陽向の告白に、俄然のり気になった上城が笑顔を見せてくる。
「……上城さんが相手を?」
 その返事に、陽向は自分がボクシングをしている姿を思い浮かべようとした。
 上城とふたりでトレーニングをして、そうして一緒にスパーリングをする。軟弱な自分の身体をきたえて、上城のような男らしい格好よさを目指す。
 ――いいかもしれない。
 知らなかった強い自分を作ることができるかもしれない。
「やります、俺」
 陽向が決意表明をすると、手がのびてきて、マグカップをそっと取りあげられた。上城のカップと床に並べておかれる。
 身をよせられ、腕が掴まれて枕に押し倒された。
「一緒にボクシングできるのか」
 熱いキスを一回。そうして大切なものを扱うようにして、優しく抱き込まれる。
「それは楽しくなりそうだな」
「……ん」
 鼻を鳴らすと、さらにキスを一回。
 この人は自分より大人っぽくて、落ち着いている気がしていたけれど、実の所は結構、熱い人なのかもしれない。
 目覚めたばかりなのに、また夢の中へ落ちていくような甘い雰囲気に、陽向は目元を蕩かせた。
「誘ってる」
「え?」
「その顔。誘ってる顔だ。けど、自覚ないだろ」
 ない。全然。
「まあ、そこがいいんだけどな」
 上城は満足げに笑って、またキスをする。
 自分の上で微笑むイケメンに、陽向もぼうっとなった。
 朝日の当たる部屋で、力強い腕の中に取りこまれながら、ゆっくりと目をとじる。
 幸せな気分で、陽向も相手を抱き返した。


 ◇◇◇


「……こんばんわ」
 入り口の扉を押して、店の中をそっと見渡す。淡いオレンジの明かりに照らされたザイオン店内には、テーブル席に女性客が三人と、カウンターにふたりの客がついていた。
「あ、いらっしゃい」
 カウンターの内側から挨拶してくれたのはアキラだった。ひとりでグラスを磨いている。陽向はカウンターの片隅に席を取ると、隣のスツールに大きめのスポーツバックをおいた。
「今日も練習に行ってらっしゃったんですか」
 陽向のまえにきたアキラが気さくに声をかけてくる。すっかりここの常連になった陽向は、「はい」と返事をしていつものビールを注文した。
「頑張ってますね」
 あれから陽向は、上城と同じ山手ボクシングジムに通いだした。まだ練習を始めて数日で、体力作りの段階だったけれど、下手な素人なりに楽しんで続けている。
 明日は土曜日なので、このまま上城の部屋に泊まって、翌日に少し遠出をしてボクシング用品の専門店に行く予定にしていた。本格的に始めるのなら、グローブなど揃えないといけないからだ。今まではジムの備品を借りていたが、やっぱり自分用が欲しい。上城に選んでもらって、ついでにそれを口実にしたデートをするつもりだった。
 考えていたら、自然と笑みが浮かんできてしまう。アキラが目のまえにいるのに、不審な笑い方をしてしまった。
「なにか楽しそうですね」
「あ、いえ。……えっと、上城さんは?」
 笑い顔を誤魔化すように店内を見渡すが、バーテンダー姿の恋人はどこにもいない。
「ああ、今ちょうど商店街のいつもの会合に行ってるんですよ。すぐ戻ってくると思います」
「そうなんですか」
 差しだされたビールを一口飲む。運動したあとのビールは格別に美味かった。
「ここ最近、この通りをもっと安全にして、訪ねてくる人に楽しんでもらえるためにどうしたらいいのかって話しあっているようですから」
「へえ」
 アキラが手元を忙しく動かしながら、けれど話し相手が来店してくれたことが嬉しいのか、続けて喋ってきた。
「お宮通りの今の雰囲気を崩さないようにしながら、ここのよさを保とうって、熱心に話し込んでるみたいです。常連さん達には居心地の良さを残しつつ、新規客も訪れやすいようにするのにはどうしたらいいのかって、日坂さんらと連日、苦労してますよ。とりあえず、アーケードの入り口を綺麗にしようって案が出てるらしくて」
「なるほど」
 確かに入り口は商店街の顔でもある。来る人に馴染みやすい作りにする必要はあるのかも、と同意しながら頷いた。
「昭和レトロ通りとかって、新しい名前もつけようかって。……あ、そうだ」
 言いながら、カウンターの下に手を入れる。この近辺に無料で配布されているタウンマガジンを一冊取りだした。
「これこれ、見てくださいよ」
 陽向のまえに広げた見せたのは、冊子の巻頭カラーページで、『隠れた名店』と銘打った特集がなされている。いくつかのバーが写真入りで掲載されていたが、一番目立つ真ん中にザイオンが載っていた。そこに、カウンターの中でカクテルを注ぐ上城が大きく写っている。いつものバーテンダー姿で、少し目を伏せ気味にしてグラスとシェーカーを手にしていた。印刷は荒かったがそれでも男前っぷりが映えたいい写真だった。



                   目次     前頁へ<  >次頁