ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 最終話


「……すごいですね」
「そうなんですよ。表通りの名店を抑えての、堂々の一番大きな写真です」
 昂奮した様子で、自分のことのように喜びながらアキラが話してくる。
「すごく格好よく写ってる。これなら、お店にくるお客さんも増えるんじゃないですか」
 アキラはうんうんと頷きながら、後ろのテーブル席にそっと視線を流した。陽向も店に入ってきたときに気づいていたが、華やかな女性の三人組だった。
「ああいったお客さんが増えてるんですよね」
 陽向は振り返らずに、へええと返した。内心、ちょっと複雑な感情が入り乱れたけれど、平静を保って笑顔を向ける。それに、アキラが意味深に微笑んできた。
「だから、小池さんも心配ですよね」
「へ?」
 いきなり心の中を読まれて、不意打ちを喰らい、間抜けな声を出してしまう。
「な、なんのことですか」
 口元が微妙に痙攣する。強張った作り笑顔に、アキラはわかっていますよ、とばかりに大仰に頷いた。
「大丈夫です。小池さんと上城さんのこと、知ってるの俺だけですから。誰にも言いませんよ」
「……へ、ええ?」
 なんでバレてるんですかと、言葉にはできなかったが表情で伝えてしまうと、アキラは訳知り顔でまたうんうんと首を縦に振った。
「最初からわかってましたよ。上城さんが小池さんのこと狙ってるってことは。あの人とは付きあい長いし、なに考えてるか言わなくても大体読めますしね。しかし、小池さんが落ちてくれるとは、予想外でした。上城さん、よっぽど嬉しいらしくって最近は仕事中にもノロケたりしてますよ」
 ニヤリと笑う姿から、秘密を暴露する悪戯心が垣間見える。
「……ノロケてるんですか? あの、上城さんが?」
 全く想像もつかなくて、バレていたことにも考えが及ばす思わず聞き返してしまう。
「ええ、時々ボソッと呟くように、可愛すぎてムカツクとかこぼしてますよ」
「……そ、それ、ノロケなんですか」
 むしろ怒られてるような気がしなくもない。
 陽向がこんがらがった表情をしているのに、アキラが面白そうに笑ってきた。
「上城さんって、見かけによらず恥ずかしがり屋だから。あれでも」
「へえ……」
 思いがけない事実を説明されて、陽向は目を瞬かせた。
「だから、照れたときはいっつも不機嫌な顔になるんです。それで隠してるっていうか。で、大抵、怒ってるように見えちゃって損してる」
「そうなんだ……」
 そう言えば、と思い返せば、上城と知りあった最初の頃、よく不機嫌な顔をされた。怒らせてしまったのかと焦ったこともあったが、あれはもしかして照れていたのだろうか。
「まあ、長く付きあっていけば、わかるようになるんですけどね」
 だから頑張ってくださいね、というように笑ってくるアキラは、上城と陽向のことを受け入れてくれているようだった。
「……はい」
 恥ずかしさを誤魔化すように、グラスに口をつける。
「で」
 アキラはカウンターから身をのりだすようにして、小声で尋ねてきた。
「小池さんが桐島さんと、なにもないことがわかったから、俺、彼女に堂々とアタックしてもいいですかね?」
 陽向の顔を窺いながら訊いてくる。友人である陽向にも了承をきちんと得たいらしかった。もちろん、異論があるわけはない。
「どうぞどうぞ。頑張ってください」
 応援したい気持ちはいくらでもあった。アキラには桐島に馬にされた者同士、ぜひとも将になれるように頑張ってもらいたい。
 やった、とガッツポーズを作っているところに、扉がひらいて上城が姿を現した。
 カウンターに座っている陽向を見つけて、ふっと目元を和らげる。
「や」
 すぐにそばにきて、声をかけてくれた。その後ろから、女性客が「こんばんわ、上城さん」「またきちゃいました」と華やいだ挨拶をしてくる。
 上城はそちらにはいつもの営業用スマイルを返して、カウンターの奥へと入った。女性客は上城にカクテルを作ってもらうのを待っていたらしく、アキラが注文票を見せると、手を洗い、すぐにグラスとシェーカーをだして準備を始めた。手際よく作業を進める姿と、流麗に動く節だった手をカウンターのこちら側から、陽向はうっとりした目で眺めた。
「蕩けてるぞ」
 上城が困ったように注意してくる。ハッと我に返った陽向は、隣で笑っているアキラに目を向けて、恥ずかしさに俯いた。最近は気がゆるむと、すぐに上城のまえでこんな顔をしてしまう。
 残りのビールを傾けていると上城が、「あ、そうだ」と言ってなにか思いだしたようにポケットから小さなものを取りだした。それをカウンターの陽向のまえにおく。
「渡しとくよ。先に上の部屋いって休んでていいから」
 目のまえに差しだされたものは、部屋の鍵のようだった。
「……え」
 キーホルダーもついていない。ということは合鍵なのだろうか。しかし、どこかちょっと普通と違う。陽向は手に取ってしげしげと眺めまわした。
「……これ」
 その鍵は古く、デザインも一世代ほどまえのものに見えた。手に持ってひねる頭の部分には使い込んだ跡がついている。上城がいつも部屋をあけるときに使っているものの方が新しい気がしなくもない。
 問いかけるように見あげた陽向に、上城は「ああ」と頷いた。
「それ、ここの建物ができたときに作ったオリジナルの鍵。俺がいつも使ってるのはコピーだから」
「え?」
「親父が以前、使ってたものなんだ。しまっておいてもしょうがないし、それ使ってくれ」
 陽向はもう一度、鍵に目をやった。
 それは大切なものなんじゃないのか。どうしてこちらを自分に渡してくるのか。
「け、けど、そんな大事なもの、俺が……」
「いいんだよ」
 カクテルを三つ用意しながら、上城が構わないというようにそっけなく言う。
 盆にグラスを載せると、カウンターから出てきて陽向の横に立った。
「持ってて欲しいから」
 口端を上げて、片頬に笑みを刻む。
 目を細めるようにして笑う表情は、お客には決して見せない、陽向にだけ向けるものだった。
「……はい」
 胸の奥からじわりと温かな感情が湧いてくる。
 上城にとって意味のある、大事な鍵を託してくれたことが嬉しかった。この店ができたときから使っている、時代を刻んだ鍵を持っていて欲しいと言ってくれたことが、すごく嬉しかった。
 陽向はキーホルダーを取りだして、古いキーをそこに付け足した。
 他の鍵よりもくすんだ鈍色のそれは、何十年という時間をここですごしてきたものだ。
 彼がこの古い鍵を自分に渡したのは、もしかして上城自身だけでなく、この店も、この通りも、陽向に大切に思ってほしいと考えたからなんじゃないだろうか。そう思えば、この人のことを大切にしていきたいと感じる気持ちが心を満たしてくる。
 上城は三人組のテーブルに行き、客を相手に他愛のない話を始めた。
 カウンターの中では、それを見守るアキラの姿がある。
 壁にかかったビンテージポスターには優しげな明かりが映え、BGМには昔聴いた覚えのあるフュージョンが流れている。
 穏やかで、静かな時間がザイオンの中に漂っていた。
 陽向はそのゆるやかなひとときに身を任せながら、バーテンダー姿の恋人が自分のところにまた戻ってきてくれるのを、幸せな気持ちで待つことにした。



                         ――終わり――



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