ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 番外編 02


「そろそろ片付けも終わるかな……」
 時計を見ながら、陽向は上城が階段をのぼる音が聞こえないかと耳をすませた。
 真夜中の部屋にひとりでいるのは、ちょっと落ち着かない。いつも片付けを一緒に手伝いましょうかと言うのだけれど、お前は寝てろ学校あるだろ、と言われてしまう。彼は言い方はぶっきらぼうだけれど、そういう所は優しい。
 陽向は手持ち無沙汰に部屋の中を見渡した。上城の部屋はいつも片付いていて、そしておいてあるものが少ない。ただ一箇所、本棚だけを除いて。
 そこには、カクテルに関する書籍やファイル、ノートが大量につめこまれていた。彼は空いた時間にいつもそれを取り出して勉強をしている。有名なバーテンダーの書籍や亡くなった父親が残したレシピ、自分で考えた配合。一口にカクテルと言っても、作る人によって使う材料やシェイクの仕方は、異なるらしい。マティーニひとつにしてもジンの銘柄、加える他の材料、配合の具合などアレンジは多様だという。それを提供する相手によってまた変えたりと、一杯のカクテルの世界は無限に広がっている。上城はボクシングに対してストィックに向きあうのと同様に、バーテンダーという仕事に対しても真摯に向きあっているのだった。
 そうしていたら、外からカンカンと階段を踏む足音が響いてきた。どうやらやっと仕事が終わったようだ。陽向は眠くなっていた目をひらいて姿勢を正した。バッグの横に紙袋があるのを確かめる。ガチャリと玄関ドアがあく音がした。短い廊下を通って、上城がやってくる。
「あれ? 陽向。起きてたのか」
 部屋に入ってきた上城は、いつもは寝ている陽向が起きて待っていたのに、ちょっと驚いた顔をした。
 その手には、――大量の紙袋が提げられていた。
「え、え。あ、ああ、はい」
 どの袋も小ぶりで、そしてどれも店のロゴが入っている。中身はどう考えてもチョコレートだろう。しかも全部、高級そうなものばかり。陽向の岩石とは雲泥の差だった。
「……」
 袋をガン見してしまったら「――ああ」と答えられた。
「もらったけど、食うか? 俺は甘いもの好きじゃないから食わないけど」
「えっ」
 その言葉に、思わずきいた。
「好きじゃないんですか?」
「ああ。いつもアキラに全部渡してる。今年はお前がいたし、好きなら食うかな、って思って持って帰ってきた」
「……まじで」
 そんな、甘いものが嫌いだったなんて。知らなかった。事前のリサーチ不足だった。
 思わずしゅんとしてしまった陽向に、上城が不思議そうな目を向けてくる。そして、バッグの横に紙袋があるのに、おや、という顔をした。
 陽向はその視線に気がついて、バッグの後ろにサッと袋を隠した。けれど遅かった。
 上城は陽向の横に座ると、隠した紙袋を取りあげてしまった。中を覗きこんで目をみはる。陽向はめちゃくちゃ恥ずかしくなって顔を伏せた。
「これ……」
「すいません、忘れてください」
「お前が作ったのか」
「なかったことにしてください」
「もしかして、俺に?」
「ほんとすいません。迷惑でした」
 取りあげようとしたら、その手から逃げられる。反射神経は上城の方がずっといい。
「食っていい?」
「おいしくないです。甘いもの嫌いなんですよね」
 言ってしまえば、はりきって作ったことが悔やまれる。
「お前が作ったもの、嫌いなわけないだろ。ていうか」
 ぼそっと呟かれた。
「……陽向が焼いたのか」
 感動的な声で、しみじみと袋の中を見られる。それは、自分の裸を見られるよりも恥ずかしかった。
 上城がひとつ取りだし、包装をほどく。茶色くて岩石みたいな塊を、まるで宝石みたいに指先で角度を変えてなんども眺めてから、一口頬張った。
 とたんに、相手の歯の間から「ガリッ」という音が聞こえてくる。
「えっ」
「――うっ」
 上城が整った眉をよせて、口元を押さえた。
「も、礎さんっ」
 陽向はビックリして、上城の袖に手をかけた。
「ど、どしました、なんか、変な音したっ」
 上城は、なにか探るような目をしながら、口の中を動かした。
 考えつつ、咀嚼して、それから、ごくんと嚥下する。
「ガリッって、ガリッて、いった……なんで」
 変な物なんか入れてないのに。
「卵の殻かな」
「まじで」
 サーッと血の気が引いていった。
「す、すみません、ほんと、俺、気づかなかった。まさか、そんなものが入っちゃってるなんて」
 涙目になって謝る。
「いや、大丈夫。これくらい、俺もよくやる」
 料理上手な上城がそんなことをするはずないのに、陽向のためを思ってか優しく言ってくれる。
「ごめんなさい、礎さんに変な物食べさせちゃって」
 菓子作りは素人が簡単に手をだしていいものではなかった。本当に地雷が埋まってた。
「ごめんなさい……」
 泣きそうな陽向の前で、上城はもう一口ぱくりと食べた。
「もう食べないで」
「うまいよ」
 うん、とうなずいて微笑む。
「うまくないです。甘いもの、嫌いなのに無理させてしまって……」
 落ちこむ陽向に、上城はケーキをひとつ平らげて言った。
「陽向が俺のために、って気持ちで甘いのなら、いくらでも大歓迎で食える」
 その言葉に口端が両側からみっともなくさがる。
 申し訳なさそうに見あげると、上城はしょうがないな、というように肩を抱きよせた。
「もしかして、ケーキ焼いたの初めて?」
「はい」
 上城が、陽向の頭をなでてくる。
「そうか。そんな貴重なケーキを俺は食べさせてもらえたのか。記念になるな」
 嬉しそうに言われて、陽向は上城の心遣いに胸が痛くなった。
 ――ああ、ホントに、俺、この人が好き……。
 強くて優しくて、思いやりがあって。
 ふたりの横には大量のチョコの箱がある。きっと店に来る女性客が持ってきたものだろう。こんなに皆から好かれる人を、俺ひとりが独占していいんだろうか。もったいなさすぎて誰にともなく謝りたくなってしまう。
 ぐしゅり、と鼻を鳴らすと、もっと強く抱きよせられた。上城のシャツに頬が押しつけられる。
「ありがとな、陽向」
 ぽんぽん、と背中を叩かれ、それから額にキスされた。
「――で」
 ギュッと抱きしめ、耳元でささやかれる。
「今日はもう風呂入った?」
 上城には、部屋は好きに使っていいから風呂も先に入ってベッドに行ってろ、といつも言われていた。
「……はい」
「明日、というか今日は、まだ平日だよな」
 時計は午前二時半をさしている。
 相手の言いたいことが理解できた。陽向の学校のことを心配しているのだ。
「大丈夫です、もう卒業間近なので、今日は授業もありません」
「そか」
 上城の声がいささか弾んだ気がする。
「ならもっと甘いもの、食いたいな」
 そういって、もういちど額にキスをされた。



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