彩風に、たかく翼ひろげて 03


『それなら、わしも一緒に遊びに行くか』
 と言って、出向いた賭場には、隼珠を買う相手の金持ちも遊びに来ていた。金持ちは胴元に頼んで隼珠に壺振りをさせた。余興のつもりなのだろう。伊助の元で何度も賭場の手伝いをさせられていた隼珠は、言われるがままに壺を振ったのだった。
 座敷を抜けだした隼珠は、今日ここへ来た本当の目的を果たすために、そっと通りを見渡した。
 せまい小路の向こうに十人ほどの男がたむろしている。目をこらして男らの顔を確認した。
 ――いた。
 無頼の集団の中に、七年ぶりに見るあの男の姿を発見する。懐から匕首(あいくち)を取りだすと、隼珠はそれを強く握りしめた。
 ――赤尾の蛇定。
 仕入れた情報通りに、本人がそこにいた。青白い面立ちに鋭い目、背の高い痩せぎすの体格は記憶の中のままだ。七年前に鶴伏を離れた蛇定は、赤尾一家の事情により一か月ほど前に地元に戻ってきていた。
 蛇定はちょうど、隼珠に背中を見せていた。着流しを尻からげにして、子分らと喋っている。今なら隙があるかもしれなかった。
 そっと近づいて、背後からぶすりとこれを刺してやる。油断しているところを襲えば、隼珠の腕であっても致命傷を与えられるはずだ。そのあとは、周りの博徒らに斬られて死ぬだろうが構いはしない。兄の仇を討てるのなら。
「兄(あん)ちゃん」
 小さく呟くと、隼珠は一歩を踏みだした。
 

◇◇◇
 

 生垣沿いに、足を忍ばせてゆっくりと集団に近よっていく。
 茂みの途絶えた場所から飛び出るつもりで周囲を見渡した。隼珠は手の力は弱いが、脚力には自信がある。駆けるのも早いし、身軽で動きも素早い。男らをかき分けて、蛇定だけに狙いを定めることも可能なはずだ。
 緊張で高鳴る胸を抑えつつ、鞘から刃を引き抜く。蛇定を視界にとらえ、――さあ、今だ、と身を起こそうとしたところに、背後からにゅっと大きな手が突きだされた。
「――っ」
 隼珠の口をふさぎ、同時に匕首を握った腕をつかまれる。
 驚いた隼珠は、襲われた恐怖に、我を忘れて手足をバタつかせた。
「うっ、うう、うんっ」
 必死になって覆いかぶさる者を蹴り飛ばす。
「いてっ。おい、こら、静かにしろっ」
 耳元に、低く鋭い声が響く。
 ――バレた。
 誰かに見つかってしまった。サッと背筋が冷たくなる。
 小柄な隼珠の身体は、背後の男に軽々と押さえこまれた。男の力は強い。身動きが取れないまま、隼珠は生垣から引き離されてしまった。
「この餓鬼。なにしやがるつもりだ」
 男の手のひらの間から叫び返す。
「離せっ。兄ちゃんの仇を討つんだっ。蛇定を討ち取るんだっ」
 自分をとめたのが誰かわからないまま、隼珠は相手の胸の中で暴れた。
「兄の仇?」
 男は腕の力は弱めぬまま、それでも乱暴な扱いはせずに、興奮する隼珠を抱えこんだ。
「放せっ、放せよっ」
「静かにしろ。騒いだらあいつらに気づかれるだろ」
 言われて、ひたと動きをとめる。
 奴らに見つかったら仇討ちができなくなる。隼珠は仕方なく口をつぐんだ。
 腕の中で大人しくなった隼珠を、男は身体を少しずらして向きあう体勢へと変えた。緊張したまま相手を見あげる。知らない顔だった。
 男は隼珠よりもずっと立派な体躯の持ち主で、若くて精悍な容姿をしていた。髪は総髪で肩にかかりそうなほど長い。秀でた眉に切れ長の目は鋭く、強さと厳しさが宿っていた。堅気の雰囲気ではない。けれど、博徒独特の粗暴さも感じられなかった。
 この男は何者なのか。料亭の用心棒か、客か、それとも、もしかして蛇定の手下か。
 隼珠が男を観察すると、男も同じように隼珠をじろじろと見てきた。
「お前、そんな匕首ひとつであいつをやるつもりなのか?」
 男が呆れた様子でたずねてくる。あいつとは蛇定のことを指しているのか。この男は奴を知っているのか。
「やってみなきゃわからねえだろ」
 隼珠は言い返した。
 隙をつけば、自分にだってできるかもしれない。
「どう見ても無理だろう。蛇定は腕が立つ。そんなんじゃ、かないっこねえぞ」
 自分のやろうとしていたことを真っ向から否定され、隼珠は黙りこんだ。確かにそうかもしれない。けれど、ほんの少しでも可能性があるのなら、それに賭けたかったのだ。
「とにかく、ここで騒ぎを起こすな」
 男は隼珠を抱えたまま、生垣の向こうに視線を注いだ。
「見てみろ」
 あごをしゃくって促す。隼珠も通りをのぞいた。
 生垣の前を、数人の巡査が通りすぎていく。それに気づいた蛇定たちが料亭の裏から離れていった。
「奴ら、引き返すしかなさそうだな」
 男が笑う。蛇定が行ってしまい、隼珠も気が抜けてしまった。
「……あいつら、今日ここで賭場荒しをするはずだったのに」
「そうさ。けど、これだけ警察が出張ってきたなら、それも無理だ」
 隼珠は男を見あげた。どうしてこの男は、蛇定の賭場荒しのことを知っているのだろう。男の視線は警察に向けられていた。
「ほら、おいでなすった」
 男が、隼珠にささやく。何が来たのかと視線をめぐらせると、巡査らの向こうから中年の洋装の紳士があらわれた。巡査らが挨拶するのに、紳士は威張って鷹揚にうなずく。
「ありゃ、警察署長だ。これからここの料亭の賭場で遊ぶつもりなのさ。だから蛇定に荒されちゃ困るんだ。もちろん、おまえに騒ぎを起こされても困る」
 博奕は法律で禁止されている。にもかかわらず、警察署長自らが遊びに来るとは。呆気にとられて見ている隼珠に、男は告げた。
「お前、さっき壺を振ってた若いのだな。勝手なまねしやがって。このまま解放してもらえると思ったら大間違いだぞ。手をわずらわせた落とし前はつけさせてもらうからな」
 見知らぬ男は隼珠を脅しながら、口端を不遜に持ちあげた。



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