彩風に、たかく翼ひろげて 04


◇◇◇


 盆の引けた奥座敷で、隼珠は伊助と共に、さっきの男と向かいあっていた。客はもう誰もおらず、料理もさげられ、ランプも隅にひとつ残されているのみだった。その明かりが、三人の男の姿を照らしていた。
「申し訳ありやせんでした」
厳つい身体を折り曲げて、伊助が畳に頭をこすりつける。
隼珠と共にこの料亭に来ていた伊助は、最初、盆に参加していたが、なじみの芸者がやってくると料亭の別の場所に移っていた。それを連れ戻された。
 隣で正座の隼珠も、黙って同じように頭をさげた。
「うちのモンが、とんだご迷惑をおかけしやして」
 村では一家の親分として十人ばかりの子分を従える伊助であったが、自分よりもずっと若い男に小さく丸まって謝罪をしている。
「全くだ。もし、この野郎が、警察署長もいらしてるうちの賭場で、蛇定を襲って騒ぎを起こしていたらどうなってたことか。俺の顔も潰されるところだったぜ」
 そう言った若い男の声は澄んでいて、とても博徒の親分のものとは思えない。隼珠はそっと上目で相手を仰ぎ見た。
 隼珠をとめたのは、鶴伏で一番大きな博徒集団、白城一家をおさめる親分の、白城迅鷹(しらぎはやたか)という男だった。年の頃は三十ほど。背が高く整った男らしい容姿は、やくざ者にしては華がありすぎる。どこかの役者といったほうが通りそうだ。この迅鷹という親分が、今日の盆の胴元だった。
「すんません。この落とし前はつけさせて頂きやす」
 平伏する伊助に、迅鷹はあぐらに腕を組んでたずねてきた。
「へえ。どうするってんだい」
 目つきは鋭く、口調にも凄味がある。けれど、ただ単に怖いだけではない。この人には、もっと違う威圧感がある。この歳で鶴伏一の博徒親分になっているのだ。きっと怒らせれば冷酷無比な仕打ちがなされるのだろう。隼珠は指をつめられる覚悟をした。
 迅鷹は隼珠をとめたのだから騒ぎは何も起きていない。警察署長は博奕を楽しんでそのまま帰っていったし、蛇定も賭場荒しには来なかった。だからこのまま許されても構わないだろうと考えるのは素人であって、博徒にはそんなゆるしは通用しない。
「後日、改めて親分さんのほうには私から謝罪に伺います。この壺振りについては、こちらで仕置きをしておきますんで」
「ふうん。どんな仕置きをするってんだ」
「……それは」
 伊助は言葉を濁らせた。少しためらい、それからまた話す。
「こいつは身体に傷をつけるわけにはいきませんで。ですから、何か、他の方法で……」
「身体に傷をつけるわけにいかない?」
「へえ。こいつは、今夜、沢口の社長さんのところに買われていく身なもんで」
「買われて?」
 その言葉に、迅鷹が隼珠に視線を移す。
「沢口っていやあ、あの、製糸工場んとこの、若社長のことか」
「へえ。その通りです」
「おめえさん、自分の子分を、女郎みたいに売り渡すってえのか」
 いいえ、と伊助は首を振った。
「こいつはあっしの子分じゃありません。ただの居候です。こいつが百円の借金をこさえていたのを、あっしが肩代わりして引き取りましたんで」
「百円? ……そりゃあまた。ガキのくせによく負けたもんだな」
 迅鷹が呆れたように言う。隼珠が博奕で負けて借金を抱えたのだと思ったらしい。
「いえ。これは、こいつの兄貴が殺されたときに、住んでた長屋を燃やされた借金です」
「なに?」
 迅鷹の表情が変わった。
「数年前に、こいつがうちの村で悪さをしていたのを、うちのもんが捕まえやして。そんときに偶然、子分のひとりがこいつに長屋を燃やされた奴だったとわかりましてね。長屋の連中をひきつれてきて、どこかに売り飛ばして借金のカタにしてやると息巻いたのを、あっしが代わりに払うことで話をつけて引き取ることにしたんでさ。それで、今まで手元においていたんでさあ」
「へえ。そりゃ、おめえさんにしちゃあ、親切な人助けをしたもんだな」
 迅鷹が首をかしげる。伊助が下心なしに人助けなどするはずないと分かっている顔だった。
「へい。こいつは見ての通り、顔だけは綺麗なんで。芸事を仕こんで、あっしが経営している置屋で稼がせようと思ったんでさ。ところがどっこい、こいつには背中に大きな傷がありましてね。そのせいで左手が思うように動かない。踊りをさせても三味線を持たせても、どうにもしまりがないもんで、仕方なく壺振りなんぞを覚えさせて高く売れるときを探っていたんでさ。そうしたら、うちの賭場に出入りしていた沢口さんにそっちの趣味があるってことがわかりまして。ええ。二百円で男妾に買いたいと言われたんで、売ることにしたんでさ」
 伊助が事情を説明する間、隼珠は俯いて頭をさげていた。迅鷹に顔を見られたくなかったからだ。男のなのに妾として売られていく自分をどんな目で見ているのか。それを知るのが、なぜか怖かった。
「なるほど」
 迅鷹の声は静かだった。
「じゃあ、仕置きは、あの肥えた狸にさせるわけだな」
「へえ。そういうことになりやすかね」
 意味ありげに笑った伊助に、迅鷹は続けた。
「そんな楽しみを、あの豚狸にさせるのも癪だな」
 ふぅむ、と考える声がする。
「よし、だったら、俺がその仕置きをしてやろう」
「へい?」
 伊助が間抜けた声をあげた。
「俺がそいつを仕置く」
「え? へ? へい?」
「俺の縄張りを荒したんだからな」
「あぁ、へえ。で、でも、こいつは、もう、沢口社長と話がついてるんで……」
「だったら社長に伝えとけ。この壺振りは白城の迅鷹がもらうことになったからあきらめろ、と」
 ぽかんとなった伊助は、一瞬の後に我に返って言った。
「し、しかし、こいつを売らなきゃあ、あっしが大損するんで、困りまさあ親分さん」
「ならそれがおめえへの落とし前だ」
「そんな殺生な」
 弱り顔の伊助が食い下がる。
「百円の借金に、こいつをここまで育てた手間賃、そいつをなしにされちゃあ、こっちも立つ瀬がござんせん」
「百円で俺のゆるしが買えるんだ。安いもんだろ。こいつの仕置きは俺がする。それが嫌なら三百円用意しろ。それが落とし前だ」
「……親分さん」
 勘弁してくだせえよ、と小さく呟く。
「俺の賭場で、おめえんとこの餓鬼が匕首片手に暴れようとしたんだ。それを未然に防いだのは、俺自身なんだぜ。俺がいなかったらどうなってたか、わかってんのか伊助。この鶴伏でこれからも楽しく遊びてえなら、黙って言うこと聞いとけ」
 悪い笑顔で相手を脅す男に、伊助が納得できない表情ながらも渋々うなずいた。ここで逆らって恨みを買うくらいなら大人しく従っておくほうが得策と判断したらしい。伊助の贔屓の芸者は鶴伏にいる。
「……わかりやした」
「なら決まりだ」
 男は快活に笑った。そして隼珠を振り返って声をかける。
「おい、おめえ」
 隼珠は話の流れが全くつかめなくて、ぼんやりしていた。
「へっ、へい」
「お前は今日から、白城の鷹の持ちもんだ」
「へい」
 わけが分からず、返答だけをする。
「荷物をまとめて、これから家にこい」
 伊助が口をはさむ暇もなく、迅鷹が勝手に決めてしまう。しかし親分としては迅鷹の方がずっと格上なので、伊助は言われたことに従うしかなかった。
 話は終わったと、迅鷹が立ちあがる。
「行くぞ、壺振り」
 呼ばれた隼珠は、戸惑いながら、自分をただで手に入れた男を改めて見あげた。



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