彩風に、たかく翼ひろげて 06


 小さな盗みで村人に捕まったとき、連れていかれたのは、その村で一家を構える博徒親分の伊助のところだった。
『このガキ、鶴伏の火事で逃げだした奴だ』
 伊助の子分の中に、あの長屋の住人がいて、隼珠を見るなり怒りだした。
『この野郎、こんどこそ売り飛ばしてやる』
 隼珠の首根っこをつかまえて振り回す。ああ、今度こそ炭鉱に売られるんだと観念したところに、伊助親分が割って入った。
『おい、よさねえか。まだ子供じゃねえか』
 そのとき、隼珠は数えで十一になっていた。伊助は、薄汚れた隼珠を眺めまわし、『ふうん』とひとつうなずいた。
『この子は、俺が買ってやろう。おい、借金はいくらなんだ』
長屋の住人は三百円請求した。それを百円に値切って肩代わりして、伊助は隼珠を引き取った。以後は先刻、伊助が話した通りだった。
 それらのことを迅鷹に話すと、相手は「そうだったのか」とうなずいた。
「そりゃあ、ひでえ目にあったな」
 労わるように肩をなで、首筋を大きな手で包まれる。その優しさに、思わず涙腺がゆるんだ。
「それで、兄貴の仇を討とうと考えたのか」
「……へい」
 答えた声は、涙のせいで掠れた。
「けどな、隼珠。お前のこの腕じゃあ、仇討ちは無理だぞ」
 言われて、グッと息をつめる。
「蛇定は強い。あいつがやりたい放題できるのは、あいつにかなう者がいないからだ」
 それはわかっていた。わかっていて、それでも挑みたかったのだ。
 瞳から涙が一筋流れる。隼珠はそれを見られまいと、顔を布団に押しつけた。迅鷹は気づいたかどうか分からなかったが、肩をもむ手はとめなかった。
「なあ、隼珠」
 静かに名を呼ばれる。
「お前、白城の鷹のことは、知ってるか?」
 たずねられて、顔を横に戻した。それは今自分にもみ治療をしてくれている人のはずだった。
「……親分さんの、ことでは」
「ああ。そうだ。俺のことだ。俺の噂は聞いてるか」
 へい、と返事をする。鶴伏に拠点をおく白城の鷹は、この一帯を治める博徒の親分だ。鶴伏周辺には大小様々な博徒の親分がいるが、その中でも断トツに大きな縄張りを持つと聞いている。伊助の村に住んでいた隼珠でも、噂で知っていた。それを伝えると迅鷹が微笑んだ。
「白城一家は、もとは俺の死んだ親父がここから十里離れた白城村から出てきて、鶴伏に居を構えて広げたもんだ。白城は俺が作ったわけじゃねえ。俺は二代目として跡を継いだだけさ。俺の親父は人を惹きつける力があったから、慕ってよってくる博徒が多かったんだな。親父はそいつらをこの家の離れに住まわせて、仕事を与え面倒を見てやってた」
 迅鷹の手の動きはなめらかだった。とても気持ちがいい。隼珠はゆったりと身を任せながら話を聞いた。
「俺が生まれて物心ついたときにゃ、もう親父は鶴伏で一番の力を持っていた。俺の母親は若くして死んだから、俺は親父の背中を見て育った。いい男だったよ。義理と人情を大切にする任侠道を地で行く博徒だった。ちょうどその頃、鶴伏宿の西に、赤尾村出身の男が汚ねえやり口で縄張りを広げていると聞いてやりあいになったんだ。それが赤尾一家の親分、蛇定の父親だったのさ」
 隼珠は黙って耳を傾けた。蛇定の名前が出て、胸によどんだ感情がわいてくる。怒りと苦しみのまざった塊だった。
「赤尾は白城の縄張りを荒して勢力を広げてきやがった。それで小競りあいや衝突が絶えなくなった。赤尾の奴らは、ゴロツキやならず者ばかりだったから、手段を選ばずにこっちに喧嘩をしかけやがったんだ。ある日、親父が宴会に呼ばれたのを知って、奴らは帰り道に待ち伏せしやがった」
「……」
「こっちは三人、向こうは十五人。不意打ちで斬りつけやがった。それでも、親父は十人斬った。最後は阿修羅の形相で、雄叫びをあげながら倒れたらしい。その、とどめを刺したのが、蛇定だと聞いている」
 静かな、落ち着いた声だった。けれど、その内にははかり知れない怒りがこめられていた。
「俺が十六歳のとき。――今から十一年前だ」
 迅鷹の指先が優しくなる。
「隼珠よ」
 傷跡をなぞりながら話を続けた。
「俺は蛇定を討つつもりでいる。七年前ここを離れた奴が今ごろ戻ってきたのは、赤尾の親分が最近、脳溢血で倒れたためだ。跡目のあいつは将来、赤尾の親分になるだろう。その前に、俺ぁ、あいつを討つつもりだ」
 ――蛇定を討つ。
 この人は蛇定に喧嘩を挑みに行くのだ。
 隼珠の身体が熱を持ち、肩がぐうっと伸びあがる。連れて行って欲しい。自分も。それに、一緒に。
 けれど、頭上から発せられた言葉は願いとは異なるものだった。
「だから、隼珠。お前の仇討ちは、俺に預けろ」
「え?」
「お前の分も、俺が背負って蛇定を倒してやる。奴の首を持って帰ってきてやろう」
「……」
 どうして、という言葉を飲みこむ。どうして自分は一緒に行けないのか。しかしそれは分かりきったことだった。左手が十分に使えない隼珠は、連れて行っても足手まといになるだけだからだ。
「お前は高みの見物をしてりゃいい。俺の腕はあいつに負けてねえからな、きっと討ち取ってやる」
 隼珠はなんと答えていいのか分からなかった。
 この人が、蛇定を倒そうとしているのは理解できた。仇討ちをする理由も。でも、それに参加できないのだったら、なぜ隼珠を買ったのだろう。戦力にもならず、他の役にも立ちそうのない自分を、どうして横からさらうようなまねをしたんだろう。
「……どうして」
 疑問は素直に口から出た。
「うん?」
 迅鷹が、隼珠の呟きに耳をよせる。
「どうして、俺を、三百円のかわりに引き取ったんですか……」
 迅鷹の手は、まだ隼珠の背の上にある。暖かな手のひらが隼珠の痛みを包むようにしている。
 迅鷹は、少しの間、考えるようにした。黙りこみ、それからささやき声で答えた。
「同じ、肉親を奴に殺された仲間だったからさ」
「……」
「そういう同志が、不幸になるのは可哀想に思ったからだ」
 隼珠はひとつ、ゆっくりと瞬きをした。熱を持ちだした身体をしずめるために。 
 ――同情なんだ。
 可哀想に感じたから、救いだした。川で溺れる野良犬を助けるように。そうか。そういうことだったのか。
「ありがとうごぜえやす」
 礼を言う声が震える。自分の中の孤独が、幼いころから飼いならしてきた淋しさが揺り戻される。それが外に出ないように、ぐっと腹に力をこめた。
「明日から、ここで働け。お前を子分にはできねえが、仕事はやる。蛇定を倒すまではここにいろ」
「へい」
 子分にはできないとはっきり言われて、失望が広がった。兵力にならないから、白城一家の一員にもさせてもらえないのだ。
 それでも、この人は自分を助けてくれた。この人がいなかったら、今頃自分は死んでいたか、狸親父に嬲りものにされていたのだ。だとしたら、恩義を感じないわけにはいかない。
「よろしくお願えしやす。親分さん」
「鷹と呼べ。お前は子分じゃない」
「へい。鷹さん」
 うん、と満足げにうなずかれる。子分でなくても人は博徒の頭を親分さんと呼ぶものだが、この人はそれを拒否した。名前呼びは気安すぎる気がしたけれど命じられたのなら従う他ない。
 そのまま指圧を続けられ、隼珠は、そういえば仕置きはどうなったのだろうと不思議に思った。
 たずねようとしつつも、治療の気持ちよさにうっとりとしているうち、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。



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