彩風に、たかく翼ひろげて 07


◇◇◇


 翌朝、目覚めたのは迅鷹の布団の中だった。
 うとうとと瞼を持ちあげると、雨戸はもう戸袋にしまわれたのか、朝日が障子を通して部屋の中に入っていた。
「えっ」
 慌てて起きあがる。布団には隼珠しかいなかった。昨夜はあのまま心地よくぐっすり眠ってしまったらしい。
「ま、まずい」
 布団から這い出ると、急いで着物を身につけた。そうしながら、夜中、何度か寝返りをうったとき、隣に人がいたことを思いだした。
 どうやら自分は迅鷹と一緒に寝てしまったようだ。ここで眠りこんでしまった隼珠を起こしもせず、迅鷹は布団を分けあって添い寝したのか。
「なんてことを」
 白城の親分さんの布団で寝ちまうなんて、礼儀知らずも甚だしい。隼珠は身支度を整えて、廊下に出ると迅鷹を探した。
 縁側を回って、屋敷の東へ向かう。そちらは帳場のはずだった。手前の大部屋の前を通れば、中で二十人ほどの男たちが板間に膳を並べて朝食をとっていた。若者から老人まで、皆ワイワイと話をしながら食事をしている。
「ちょっとどいてくれないかい」
 入口にいたら、膳を手にした女中が慌ただしく脇を通り抜けていった。
「やあ、起きてきたか」
 隼珠の背後から、明るい声がかけられる。振り向くと迅鷹がいた。昨日の着流し姿と違い、今朝は半纏に紺股引という職人のような恰好をしている。
「おおい、皆、聞いてくれ」
 食事中の子分らに、迅鷹が声をかけた。皆が何事かと振り返る。
「今日からうちで面倒を見ることになった、井口隼珠だ。仲ようしてやってくれ」
 隼珠の背を押すようにして皆に紹介する。いきなりで焦った隼珠は、大きく腰を折って挨拶をした。
「い、井口隼珠です。お世話になりやす。どうか、よろしゅう、お願いいたしやす」
 子分らは隼珠を見あげて、「へい」「よろしゅう」と口々に挨拶を返してきた。新参者を受け入れるのにはなれているのか、かるい雰囲気で歓迎される。
「源さんはいるかい?」
 迅鷹が近くにいた子分に問うと、廊下から小柄な痩せた老人が返事をした。
「へい。ここにおりやすが」
「おお。源さん、すまんが頼まれてくれんか」 
 老人が、なんでござんしょう、と迅鷹のもとにやってくる。
「この、新入りの世話をあんたにしてもらいてえんだ。ここでのことを、色々と教えてやってくれねえか」
「へえ? あっしがですか?」
 指名されて、意外そうな顔をする。
「ああ。こいつはな、七年前の、あの事件の生き残りなんだよ」
「七年前の?」
 隼珠をしげしげと眺めまわす。
「――え、ってえことは、蛇定に料理人が斬られたってえ、あんときの小僧ですかい?」
「そうだ。あんときの子供だ」
 へえぇ、と驚いた表情になった。
「いや、そうですかい。随分と大きくなったもんだ……」
 皺に埋もれた小さな目が見ひらかれる。それから、戸惑うように迅鷹を見あげた。
「けど、あっしが、この坊の世話を……しても、いいんでやすか?」
 おずおずとたずねる老人に、迅鷹はうなずいて答えた。
「あんたに頼みたいんだよ」
 言われて、男は顔に奇妙な皺をよせた。気の毒そうな、労わるような表情になる。
「……そうですか。わかりやした。これも縁でしょうな。あっしでよけりゃあ、お世話させていただきやすが」
「うむ。じゃあ、頼んだぞ」
 迅鷹は隼珠の背を叩くと、そのまま踵を返して帳場へ行ってしまった。廊下をはさんで向こう側にある帳場で、帳面をめくっている子分に声をかけて何やら相談し始める。朝から忙しそうだった。
 老人は隼珠の姿を、久しぶりに会った親戚の子供のように親しげに眺めながら言った。
「俺の名は源吉(げんきち)だ。よろしくな。皆は源とか、源爺とか呼ぶが」
「隼珠です。お世話になりやす」
 挨拶を交わしていると、帳場から迅鷹が声をかけてきた。
「そうだ、言い忘れた。源さん、朝飯がすんだら隼珠を床屋に連れてって、髪を切ってやってくれ。そんな長い髪じゃあ、仕事の邪魔になるだろうからな」
 と言って、また帳面に向き直る。源吉が「へい」と返事をした。
「なら、朝飯食おうか。俺についてきな」
 源吉に促されて、部屋の奥へ行く。女中に用意してもらった膳で朝餉をすますと、源吉に半纏を渡された。
「紺股引をはいて、これを羽織りな。準備ができたら出かけるぜ」
 紺色の半纏は『白城組』と白く染め抜いてあった。見渡せば、子分たちは皆、同じ半纏を着ている。どうやら白城の親分は、自前の仕事を営んでいるらしかった。
 支度をすませて屋敷を出る。塀の続く通りを十五分ほど歩けば、街の中心部へと出た。朝の大通りは商売に向かう人や人力車が忙しなく行きかっている。
 隼珠が物珍しく周囲を見ていると、源吉がたずねてきた。
「おめえさん、男のくせになんでそんなに長く髪をのばしているんだい?」
 腰まで届きそうな真っ直ぐな髪は、いつも紐でひとつに括っている。それが秋風にふわりと揺れた。
「へえ。前の親分さんに切るなって言われてたんで」
 不思議そうな顔をする源吉に説明する。
「美人局(つつもたせ)をしたり、ゆすりたかりで女が必要なときに、俺が女に化けてたんでさ」
「ほお」
 隼珠の細面を眺めながら、源吉がうなずいた。
 伊助親分のもとにいたとき、隼珠は詐欺行為をするときによく手伝わされた。化粧をして髷を結い、女物の着物を着て人を騙すのだ。男にしては肌も白いし、幼さの残る身体の線は骨太っぽくもなかったので、簡単にカモを信じさせることができた。
 殴られて悔しがる男や、金を取られて泣く女。被害にあった者は皆、隼珠を憎んで罵倒した。いい気持ちはしなかったが、可哀想だとは思わないことにしていた。自分にとって堅気の人間は、金蔓でしかなかった。
「なるほど。そりゃあ、おめえさんが女に化けたら、俺でも騙されそうだな。けど、うちじゃあそんな仕事はねえからな。切っちまえばいいさ」
 通りをしばらく歩いて、迅鷹がひいきにしているという床屋へ入る。
「やあ、源さん、朝からどうしたい」
 店の掃除をしていた店主が挨拶をした。
「ああ。忙しいとこ悪いが、こいつのアタマをちょっと切ってやってくれんかね」
 隼珠の背を押して前にだす。
「この子は……男の子やな」
「そうや。今日からうちで預かることになった坊主や。短く切ってやってくれ」
 客は他にいなかったので、すぐに鏡の前の椅子に座らされた。
「綺麗な髪だね。切るのがもったいないくらいだな」
 白い大布を首だけだす状態でまきつけられる。鏡をのぞけば、源吉は後ろにある畳敷きの上げ床に腰をおろして、隼珠の髪に理容鋏が入るのを眺めていた。
ザクリザクリと音を立てて長かった髪が切られていく。あっという間に頭がかるくなって、額も短い前髪で隠すと、鏡の中の自分は別人のように男に変わった。



                   目次     前頁へ<  >次頁