彩風に、たかく翼ひろげて 12


◇◇◇


 翌朝、目覚めると隼珠は布団でひとりで眠っていた。
 がばりと起きあがる。迅鷹はもう部屋にはいなかった。
「……俺、なんで、布団で寝てる……」
 きっと気づいた迅鷹が戻してくれたのだ。寝起きの頭に、カッと血がのぼる。
 部屋の外から、人が行き来する気配がしてきた。隼珠は急いで身支度を整えると廊下へ出た。
 顔を洗うため庭へおりて井戸へ向かうと、そこには数人の子分がいた。中には隼珠と同じ年くらいの者もいる。隼珠がぺこりと頭をさげて挨拶すると、彼らは愛想のない視線をよこしてきた。近づくと無言でその場を去ってしまう。
 どうしたのかと思いながらも、ひとりになった井戸端で顔を洗い口をすすいだ。
 昨日と同じように源吉と共に朝食をとって、また河原の現場へと出かける。今日もまた、迅鷹の使い走りに忙しく働いた。
「隼珠、お前はきれいな字を書くな」
 迅鷹が席を外していたので伝言を紙に書いておくと、それを読んだ彼が感心して言った。
「そうですか」
 隼珠はほとんど小学校に行ってなかったから、読み書きは置屋の芸者に習っていた。自分の字は彼女らをまねたものだ。
「俺の手紙の清書を、お前にやらせるか」
 机の抽斗をあけて、下書きを手渡してくる。迅鷹は悪筆だった。
「……」
 解読困難な文字がずらりと並んでいる。
「今日から、これもやりな」
 ニッと笑顔で命令されて、漢字を知らない隼珠は頭を抱えながら文字と格闘する羽目になった。
 晴れの日は外を走り回り、雨の日は頼まれた書き物をし、雑用もこなす――。
 白城一家に引き取られてから、隼珠のそんな生活が始まった。
 もともと下っ端の仕事ばかりしながら暮らしてきたからどれも苦ではない。むしろ生まれて初めて、やりがいというものを感じ始めていた。
 迅鷹は隼珠に、以前のようなやくざ仕事はさせなかった。もちろん白城の博徒は詐欺やゆすりなどの汚い仕事はしない。それでも堅気ではないから喧嘩や博奕はある。が、隼珠は壺振りさえさせてもらえなくなった。
「お前は博徒じゃねえだろ」
 どうしてなのかたずねると、迅鷹はそう答えた。
 自分は子分にも、仲間にもさせてもらえないのかな、とそのときはがっかりした。少しでも役に立ちたいと望んでいるのだけれど、隼珠のできることは限られている。
 そして何より困惑したのは、夜になると迅鷹の部屋に呼ばれることだった。
 白城組では、独身の子分は六畳の部屋が連なる離れに、ふたりでひと部屋与えられている。総勢二十人ほど。所帯持ちの七人は別に家を持っていた。隼珠は独身だから迅鷹の屋敷にいてもいいのだが、離れの部屋はいつまでたっても与えられなかった。
 迅鷹の寝所へ行けば、毎夜、欠かさず肩にもみ治療を施される。そうして布団はいつもひとつだ。きっと子分らは奇妙に感じていることだろう。親分とあの居候は、毎夜いったい何をやっているのかと。
 そうして、ある晩、迅鷹が寄合で留守のとき、風呂あがりの隼珠が渡り廊下を歩いているのをつかまえて、同年代の子分が絡んできた。
「おい、隼珠公」
隼珠がここにきてからずっと、意地の悪い態度を見せている青年博徒だった。井戸で一緒になれば冷たい視線をよこし、仕事場であえば無視をする。あからさまに隼珠を邪魔者扱いする嫌な奴だ。
「尻の穴を見せてみな」
 からかう言い方に、隼珠は相手を睨みつけた。
「てめえの尻の穴には歯がついてるって噂だぜ」
「なんだと」
「それで親分の一物をがっちり咥えて離さないでいるってえ、皆が感心してるんだぜ」
 怒りがこみあげた。
 自分のことはいい。何を言われようが。けれど、迅鷹を馬鹿にするのは許せなかった。隼珠は腕力はないが、それでも博徒の端くれである。返事をする代わりに相手に飛びかかった。
「てめえっ」
 相手も手加減なく殴りかかってくる。ふたりはもつれあいながら庭に転がり落ちた。
「やあ、喧嘩だ」
 縁側でサイコロを振ったり酒を飲んでいた子分らが面白そうな声をあげた。
「やっちまえ」
「いい余興だ。どっちも負けんな」
 はやし立てはするが、誰もとめに入らない。ゲラゲラ笑いながら見物していた。左腕が弱い隼珠はあっという間に組みしかれ、頬をたっぷり殴られた。足で応戦するも力の差は歴然としていて、最後にはボロ雑巾のように叩きのめされた。
「とっとと出ていきやがれ。このおかま野郎」
 しめに頭を足裏で踏まれ、痛みにうめく。悔しかったがどうにもならない。自分の弱さに歯がみするしかなかった。
 喧嘩が終われば、皆は興味を失くしたように、またサイコロを振ったり酒を飲んだりし始める。庭に転がった隼珠は、きしむ身体を起こしてひとりトボトボと井戸へ向かった。
 風呂場にはさっきの相手がいるだろう。あいつもきっと、汚れを湯で落としている。だから隼珠は井戸水で土のついた身体と着物を洗った。冷たかったけれど、それよりもやられっぱなしで終わったことのほうがつらかった。
 その晩は、迅鷹は寄合の後に飲んできたのか深夜に戻った。翌朝、明るいところで隼珠の赤青紫がまだらに腫れた顔を見て「ずいぶん派手な化粧をしたもんだな」と驚いたが、何があったのかはたずねなかった。きっと誰かから報告がいったのだろう。数日後に、隼珠だけ「出かけるぞ」と呼ばれた。
 向かった先は、街はずれにある小さな古い道場だった。『新拳道無比流 世界柔術研究所』という看板が掲げられている。
「ここの師範は変わり者で、琉球のカラテ道や南国の格闘技などの研究をしている。日本の剣術や柔術は足への攻撃を防ぐ術は教えてくれるが、足を使った攻撃方法は普通は用いない。けれど、カラテなんぞは足を使っても敵を倒せるらしい。お前の足も、ちっとは役に立つかもしれねえぞ」
 と言い、愛想のいい毛むくじゃらで小柄の道場主に隼珠を紹介した。話は通じていたのか、道場主は隼珠を歓迎した。
 迅鷹と共に道場に連れていかれ、師範の技を披露させられる。小狸のようなその男は、藁を巻いた竹の棒の前で大きく跳躍すると、空中でくるりと回転し、棒に足蹴りを喰らわせた。
 まるで曲芸のようだった。棒はパッキリと折れ、隼珠と迅鷹は目を丸くした。
「毎日、通いなされ。きみはいい筋肉がついている。鍛えてしんぜよう」
 笑顔で言われる。小狸は思いのほか強かった。
 それから隼珠は仕事が終わった後、道場に通うことになった。
 子分との喧嘩について、迅鷹は何も言わなかったが、きっと隼珠が負けたことを気にかけてくれたのだろう。白城組で生活していくのに、なんとか勝ち抜く方法を考えてくれたのだ。その想いに、隼珠の胸は熱くなった。
 意地の悪い子分らはその後もしばしば隼珠をいじめてきた。毎度痛めつけられてしまうけれど、もうつらくはなかった。いつか力をつけてあいつらに勝ってやる。そう思えば勇気もわく。
 この力を自分に与えてくれたのは、白城の親分だ。
 ――あの人のためになることをしたい。役に立ちたい。
 生まれ始めたその気持ちは、日ごとに大きく膨らんでいった。



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