エンジェルを抱きしめる 07


 その週の末、エンジュのメンバー四人と純太郎は都内にある写真スタジオを訪ねた。
 純太郎の知り合いの写真家のタマゴに、ジャケット撮影をしてもらうためだった。自分が勤めるスタジオで、助手として仕事をしている若い写真家は、練習のためと快く格安で仕事を引き受けてくれた。
 四人でレンタルの黒のスーツを着て、ネクタイだけは派手なものをそれぞれ身につける。
 美容師の専門学校に通う高之の友人の、スタイリストやメイクアップアーティストのタマゴ達もボランティアで来てくれて、和気藹々と盛り上がりながら四人は順番に軽くメイクをしてもらい、髪の毛も整えてもらった。
 それを終えると、ホリゾントと呼ばれる白い空間の前に四人で並んで立つ。
 中央にボーカルの高之。向かって左にギターの迅、右にキーボードの琳。高之と琳の後ろに一番背の高いドラムの敲惺。
 黒のスーツの四人が、順番に立ち位置を決めた。
 撮影する写真家の指示を仰ぎながら、いくつもの表情を作っていく。そのかたわらで、純太郎も手伝いをしてくれたボランティアの女の子たちと一緒に見学した。
 四人まとめての撮影が終わると、次はひとりずつ何枚かの写真を撮った。迅、敲惺、琳と続いて、最後の高之だけは念入りに撮影が行われる。高之は慣れた様子でポーズを作っていた。
「やっぱ高之は絵になるな」
 それを眺めながら、純太郎がしみじみ言う。横にいた琳も頷いて賛同した。
 高之はカメラマンの前で、物怖じすることなく表情を作っている。ポージングもモデル並だ。今日のために自宅の鏡の前で練習してきたのか、それとも平素から自分を格好よく見せるための努力を怠っていないのか、素人とは思えない反応のよさで、カメラに向かっていた。
 ライトの当たる場所で笑顔を作る高之は、やっぱり格好いい。
 そういえば、初めて高之に会ったときも、その見映えのよさに目を奪われた。
 今でも覚えている。琳が高之と出会ったのは、高校一年の時だった。
 琳がバンド活動に誘われたのは、入学した高校の軽音楽部の先輩にだ。中学までは遊びの延長のようなバンドを組んでいたのだが、受験を機にその仲間達とは離れてしまっていた。その元仲間の兄という人に最初はギター担当で誘われたのだった。
 けれど、琳はギターよりもキーボードのほうが馴染んでいたのでそちらをやらせてくれるなら、と条件をつけて入れてもらった。
 人数をなんとか集めて、グループ名がやっと決まったころ、まだ見つかっていないボーカルをどうするかという話になって、その時に候補として高之が連れてこられたのだった。
 高之は同じ高校の三年生だった。
 当時のメンバーらと待ち合わせていたカラオケボックスに、部屋に入ってきた琳と同じ制服を着たその男は、警戒するようにして、その部屋にいた全員を睨め回した。
「江口高之です」
 そう自己紹介した男の声は澄んでいて、低くて魅力的だった。一曲歌ってみて、と言われてマイクを手にした高之は、そのころ流行だったロックバンドのバラードを歌った。
 歌い出したその瞬間に、部屋を震わす音の気迫に囚われた。
 声量の多さと、音程の確かさ。加えて伸びがあって、攻撃的なのに哀愁があった。きっと天性のものだろう。歌う姿からも目が離せなかった。背も高くスタイルも良くて、伏せた眸の容貌の、造形の良さに心が奪われた。
 胸が絞られるように痛んで、――この人のために、歌を作りたい、そう思った。そんなことを思った相手は、今までにただひとり、高之だけだ。
 高之が琳のバンドに参加するようになって、琳は彼のために曲を作るようになった。高之の声に合わせて、歌う姿を想像して、その魅力を最大限に引き出せるように、作詞作曲する。
 すべてを差し置いてそのためだけに高校時代を過ごした。
 琳の作る曲はバンド内でも評判がよかった。次第に琳が作った作品をオリジナルで使うようになり、いつの間にか琳が曲の担当となった。琳の曲を高之が歌う。高之のために作った歌だったから、他の誰よりも、彼が一番うまく歌えた。高之だけが、琳の歌に込めた想いを完璧に、体現することができる。
 琳の作った曲はどれも、高之の喉を通して完成されるのだった。
「高之の分だけは、たくさん撮るんだな」
 純太郎と琳の横にやってきた迅が、ネクタイを緩めながら言ってきた。  
「さっきの四人の写真はCDのジャケットに使いますけど、高之の写真は歌詞カードにも入れるし、これから配る宣伝用チラシ(フライヤー)にも必ず入れるんで」
「なるほどね」
 感心したように頷く。
「あいつは、エンジュの客寄せパンダですから」
 それには言った本人も、琳も迅も苦笑した。
「けど、顔もいいし、声もいい。あいつはいいもの持って生まれてきたんだなあ。羨ましい」
 迅が、かけ値なしの褒め言葉を口にする。琳はまるで自分が褒められたようにその言葉を聞いた。
 煙草吸ってくる、といってその場を離れた迅を見送って、なんとはなしに入り口付近に目をやると、そこに立つ敲惺とふいに目があった。
 少し離れた場所で、こちらを見ていたようだった。その視線は撮影をしている高之のほうではなく、琳に向けられている。
 どうかしたのかと小首を傾げると、敲惺は肩を竦めて、つまらなそうな表情をした。もう撮影にも飽きたのかと思い声をかけようとしたら、それを振り払うようにして、迅の後をついてスタジオを出ていってしまった。
 なにか気に触ることでもあったのかと訝しむ。
 そのとき背後で、「オッケーです」というカメラマンの声に上機嫌で応える、高之の張りのある笑い声が聞こえてきた。
 琳は振り返って、高之の貴重なスーツ姿をもう一度、瞳に収めた。



 午後一杯かかって撮影が終わり、皆で片付けて撤収すると、打ち上げに行こうということになった。
 全員で近場の居酒屋に出かけ、顔見知りも、そうでない初めて会ったスタッフも一緒に盛り上がる。
 高之の両側には、スタイリストやメイク担当だった女性が張りついて離れなかった。いつものこととそれを横目に、琳は他のメンバーらと話に興じた。
 やがて一次会が終わり、明日の仕事も早いからと最初に迅が帰っていった。バンド活動の他に仕事もいくつか掛け持ちしている迅は、いつも早めに引き上げていく。
 純太郎も、次の日に大学に提出しなければならないレポートがあるからと、その日は早々に帰っていった。
 高之はいつの間にか女の子らと消えている。飲み会は一次会で解散となった。
 残された琳は、敲惺とふたりで歩きながら時計を確認した。十時半過ぎだった。
「どする? 終電まだあるみたいだけど。帰るの面倒だったらうちで泊まってってもいいし」
 何の含みもない誘いをかける。
 この前の晩、純太郎が朝まで過ごした日に、敲惺も一緒に琳の部屋に泊まっていた。あの夜は純太郎がリビングのソファで寝て、敲惺は寝室で、琳のベッドの横で布団にくるまって朝まで眠った。 
 それに敲惺が、今日は少し迷う素振りをみせる。
「どっちでもいいけど。敲惺の好きなほうで。おれは構わないから」
「んじゃ、泊まってく」
 琳のかるい招きに、敲惺も他意はないとみたらしい。笑顔になって答えた。
 同じ性指向同士でも、友人であることはできるだろう。敲惺が自分をどう思っているのか琳にはよくわからなかったけれど、今はそれに対して鈍感とも思えるほどの態度で接していこうと思った。
 ゲイがふたりメンバーにいたって、それですぐどうこうなるという考えはしたくない。それは高之に対する、琳の見栄でもあった。エンジュを保つことを、一番に考えたい。それが、何よりもまず大切なことだった。
 ふたりで暗い夜道をぶらぶら歩く。琳は手持ちぶさたに、思いついたことを訊いてみた。
「あのさ。敲惺はさあ、なんでエンジュに来ようと思ったわけ?」
 夜道をならんで歩きながら、繁華街を抜けて線路沿いの細い道にでる。ここを真っ直ぐ行って、もう一駅分歩いたら琳のマンションにつく。
 少し肌寒い、それでも天気のいい夜だったので、お互い電車に乗ろうと声をかけることもなく歩き続けた。ふたりで話をしながらゆっくり酔いざましをするのは心地よかった。 
「え?」
「大久保さんから、エンジュを紹介されたんだろ? 敲惺なら他にも受けられる仕事があったんじゃない? なんでうちのドラム引き受けたのさ」
「ああ」
 背の高い敲惺が街灯に長い影を作っている。今日の格好は薄手のミリタリージャケットにTシャツ、デニムパンツを合わせたラフなものだった。
 敲惺はアクセサリーの類は付けず装いはいつもシンプルだ。それでも顔のつくりが派手なので人目を引く。高之も姿形は整っているが、敲惺は彼とはちがう種類の魅力を持っていた。
 異国の血が入った、はっきりとした目鼻立ちは意志の強さを感じさせる。けれど、眼差しはいつも優しい。
 すっきりした甘い容姿なのに、目つきだけが冷たい高之とはそこが違っていた。



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