エンジェルを抱きしめる 10


 ◇Ⅱ◇


『お前に会わせたい人がいる』 
 ファミレスの前で、そう言われた数日後、敲惺は迅とともに都内のとあるバーを訪れた。
 敲惺が、en-jewelに入って、二週間ほどが経っていた。
 自宅のガレージで琳の作った歌を聴いてからは一ヶ月あまり。あれからも琳の歌はどれも聴けば聴くほど好きになっていく。いい作品ばかりだった。
 けれど、en-jewelというバンドについては、未だ理解できない部分が多い。そう思っていたころに、迅から声をかけられた。
 迅が会わせたいと言ってきた相手は、三人。敲惺はその誰とも面識がなかった。
「行きつけの店のマスターが、音楽好きで彼らのうちのひとりと友人でさ。で、仲に入ってもらって、一度会う段取りをつけてもらったんだ。一応、その人とは、俺も以前録音スタジオで一緒になって顔見知りだったし」
 迅が会わせたがったのは、エンジュの元メンバーたちだった。
「迅さんのほうから会いたいって、頼んだんですか?」
「そう。エンジュでこれからやっていくのに、一回ちゃんと話を聞いておきたいと思って」
 店に向かって歩きながら話す迅の横に、従うようにしてついていく。
 迅が今日なぜ、敲惺も誘ったのか、その理由を説明してきた。
「俺だけ聞いてもよかったんだけど。でも、俺とお前は一緒にあそこに入ったんだしな。内情はお前も知っとく必要があるだろうと思ってさ」
 迅の様子は、これから聞く話が決して楽しいものではないことを示していた。
「エンジュでメジャーの話が具体的に出てるのはお前も知ってるよな。エリシオン・レコードから」
「ええ」
「けど、あのバンドは見ててもまったく安定してないんだよ。――なんていうか、ひとつの目標に向かって、一致団結して行こうって感じがない。マネージャーも含めて、皆が個人主義って言うか」
「個人主義……」
「うん。皆が、自分のことしか考えてないっていうのかな。だから、高之や琳や、純太郎がなにを考えてるのか知っておかないと、俺もこの先やっていける自信がない」
「ああ……」
 敲惺は、自分がエンジュに入ってからの二週間ほどの日々を思い出してみた。
 確かに、あのバンドは一種、異様な排他的な空気を持っている。今まで自分が所属してきたどのバンドにも、あんな雰囲気はなかった。
「だからさ、以前のエンジュがどんなだったのか、なんで三人もいっぺんに抜けたのか、それを知れば少しは理解する助けになるかと思ってさ。それで、今日会う約束を取りつけてもらったんだ」
 話しながら、一軒の店の前までくると、迅は足をとめて店の中をガラスのドア越しに窺った。
「きてるみたいだな」
 中を確認してから扉を押す。先に迅、それから敲惺が店に入った。
「やあ、迅さん、いらしゃい」
 狭い店内の、右側一面に設置されたカウンターから、マスターらしき男性が声をかけてきた。
 店の奥のテーブル席に、三人の若者が座っている。敲惺はそちらに目を向けた。もういくらかアルコールが入っているらしく、砕けた雰囲気になっている。マスターが「迅さんがきたよ」と、そちらの客に向かって言うと、その集団のうちのひとりが手を上げて挨拶をしてきた。
「や。久しぶりです」
 手を上げた人物が笑いかける。その人が迅の顔見知りらしかった。
 席を勧められて、迅と敲惺がテーブルにつくとマスターが自ら注文をとりにくる。迅は海外の銘柄のビールを、敲惺はコーラを頼んだ。
 飲み物がくるまでのあいだに、目の前の男たちから自己紹介を受ける。それぞれ、ギター、ベース、ドラム担当として、一ヵ月半前までエンジュで活動していたメンバー達だった。こちらも新メンバーとして挨拶をする。三人は敲惺らに対しては親しげで、どこか、厄介な荷物を背負わされたスケープゴートに対するような同情を見せてきた。
「で、早速なんだけど」
 運ばれてきた飲み物でかるく乾杯すると、とりとめもない世間話もそこそこに迅が本題を切り出した。
「以前のエンジュについて、少しばかり教えて欲しいんだけど」
「何でも訊いてくださいよ。俺らはもう、あいつらとは関係ないし」
 ギター担当の、牧村(まきむら)と名乗る男が煙草を片手に言ってくる。
 もう関係ないとは無責任な言い草だな、と敲惺は思ったが、彼らにそう言わせるまでの確執が昔のエンジュにはあったのだろうかと、不穏な気持ちにもなった。
「じゃあ、率直にきかせてもらうけど、なんで三人揃って、この時期にエンジュを抜けたんだい?」
 それに、三人が顔を見合わせる。代表するように口をひらいたのは、やはり牧村だった。
「その前に聞かせてもらいたいんですが、迅さんと青芝さんはエンジュに入って、二週間でしたっけ? おふたりはどう思ってるんですか? あそこのこと」
 迅が、ふむ、というように腕を組んで頷く。詳細を知りたいのなら、そっちからまず腹を割って話をして信頼させろということらしい。
 もう関係がないといっても、ここでの会話を今のエンジュのメンバーに漏らされたりするのはやはり嫌なのだろう。敲惺と迅が話を聞きにきた真意をはじめに知りたいらしい。
 けれどエンジュについて知りたいのは悪評なのか、目が興味本位で光っている。
「そうだな。歌の完成度も高いし、ボーカルの声もいい。ライブでも人が呼べてるようだし。けど、なんなんだろうな、あの剣呑とした雰囲気は。いつもなにかピリピリしているようで、和気藹々としていてもどこか本気で打ち解けていないっていうか……。前からあんな感じだったのか?」
 煙草の煙を燻らせながら、牧村が頷いた。
「ええ。そうですよ。昔っから、俺らがいたころから、あそこはあんな感じです。もともとエンジュは琳と高之の高校のときの軽音楽部の仲間らから始まったらしいんですけど、初期のメンバーはあのふたりだけで、あとは抜けちゃったんです。純太郎は二期目のメンバーの友人だったかな? 純は楽器やらずにスタッフとして手伝いに回ったけど、まあ、あいつが高之の手綱を引いてエンジュの方向性を決めてるようなもんですかね」
「敏腕マネージャーらしいからな」
「純太郎は将来、自分でレーベルを立ち上げたいんですよ。そういうことやりたいって言ってたから。だから今はその勉強のためにエンジュの世話してるんでしょ、多分」
 元メンバーは高之だけでなく、純太郎に対しても親愛の情は持っていないようだった。突き放すような言い方で、エンジュのマネージャーを評してくる。
「エンジュの楽曲を作ってるのは琳で、それを歌うのが高之。琳は新曲を出してくるときに、シンセ使って曲をいじくり倒してから出してくるから、もう俺らが触る部分は殆どないんです」
 それに賛同するように、隣の男が言い足してきた。 
「弾きやすいように、少しアレンジするぐらいしか残ってない。メンバーが話し合って、曲を作っていくっていうやり方じゃないんです、昔からあそこは」 
「なるほどね」
「つまり、en-jewelってバンドは、高之と琳のふたりで完結しちゃってるんですよ。だから、俺らなんか別にいらない。琳のシンセに、高之の首にギターでも引っ掛けてやれば、それで十分」
「そうして、高之自身がそういう考え方だから、気に入らないメンバーは追い出そうとする」
「じゃあ、ならなんで、最初からふたりでやらないんだ?」
 迅が疑問を口にする。
「ふたりでやりたいのは高之だけで、純太郎と琳はそうしたくないからです」
 琳の考えを聞かされて、敲惺は反射的にそちらに目を向けた。
「琳の作る曲に、生のドラムやベースやギターをあわせたいと考えてるからですよ」
「高之の見た目と軽めの声のせいで、en-jewelは軟弱系バンドと揶揄される。けど、楽曲をそういう方向に持っていきたくないから、他のメンバー入れて、もっと骨太にしようとしてるんです」
 敲惺は、自分がエンジュに誘われた理由がわかったような気がした。自分のドラムはパワフルと評されることが多い。
 今のエンジュにそういう要素が必要だったから、大久保は自分を推したのだ。
「で、君らが辞めた原因は、そういうところから?」
 牧村が煙草を灰皿で押しつぶす。残りのふたりは吸わないらしく、その手元を見ているだけだった。
「それもあります。俺らが辞めたのは、そういう高之の考え方についていけなくなったからですね」
 迅が少し眉を持ち上げるようにして、隣の敲惺に目配せしてくる。その顔には、やっぱりな、と書いてあった。
「高之が琳とふたりでやりたい理由は、自分の取り分を減らしたくないからなんですよ」
「取り分? ギャラのことか?」
「そうです」
「ギャラってったって、ライブして、自主製作盤のCD売ってるぐらいで、売り上げなんてたかが知れてるだろ」
「高之は、メジャーデビューを狙ってるんですよ」
「純太郎使って、大手のレコード会社にも働きかけさせて、メジャーで一攫千金狙ってるんです」
 それに、迅は呆れたような表情になった。
「そんなに上手くいくかね……」
「琳が曲作って、高之が歌えば、売れるかもしれないんじゃないですか」
 うーん、と腕を組んだ迅がうなる。
 確かに、敲惺も迅も、デビューを目指すためにエンジュに呼ばれた。現に、そういった話も出ている。大手のエリシオンからデビューできれば、それなりに売れる可能性もある。
「一攫千金ねえ……」
「あいつは金のためにバンド活動やってるんですよ。琳に曲作らせて、自分が歌って。それで儲けようとしてる。そういう自分勝手な考え方に俺ら、ついていけなくなって、それで辞めたんです」
「なるほどね」
「高之は俗物ですよ。音楽に思い入れなんか持ってない」
 水割りを手にした牧村が、冷たく言い放ってからグラスを呷る。高之に対しては、まだ許せないものが腹の中にわだかまっているようだった。



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