彩風に、たかく翼ひろげて 最終話


「へい。皆は屋敷で、鷹さんがけえっていらっしゃるのを準備して待ってまさ」
「そうか」
「……俺が、代表で、ひとりで行けって。そのほうが、いいだろ、って亮さんが……」
「気をきかせてくれたわけだ」
 ふ、と微笑むのを頭上に聞きながら、隼珠は目の前の人が五年間会いたくて会いたくて狂おしいほど想った相手で、その本人が幻でなく本物として無事に戻ってきてくれたことが嬉しくてならなくなっていた。
「そこに俥が待たせてありやす。お疲れでしょう、途中に宿も手配してありやす」
 迅鷹の荷物を受け取って、人力車を待たせていた場所へと促す。身なりは紳士風なのに渡世人言葉の隼珠を、迅鷹は楽しげに見つめてきた。
 俥にのって、仙台駅方面に向かう。仙台から鶴伏までは今日中に移動できない。今夜は一泊して、明日、仙台から上野まで、それから乗り換えて新橋から東海道を鶴伏まで鉄道で戻るつもりでいた。
 旅籠に着いて、部屋に案内されると迅鷹はやっと解放されたと言うように大きく伸びをした。障子をあけて外の景色をしみじみと見渡す。庭はせまかったが、ちょうど季節であるらしく梅が愛らしく咲いていた。
「隼珠、こっちにきてくれ」
 呼ばれて、迅鷹の横へ行く。背にそっと手があてられ、肌が粟立つ思いがした。
「白城は、どうなった」
「へい」
 隼珠は五年間の出来事をくわしく話して聞かせた。迅鷹が留守の間、皆がどれだけ組のために頑張ってきたのかを。堤防工事に、その他の仕事。白城組を守るために、できる限りの努力を皆がしてきた。
「……そうか」
 話し終わると、迅鷹は静かにうなずいた。
「苦労をかけたな」
 労わられて、五年の不在の淋しさがよみがえる。俯くと肩を抱かれ強く引きよせられた。
 迅鷹が隼珠の髪に口づける。柔らかな感触に、隼珠は安堵と嬉しさに一杯になった。まだ自分は忘れられていなかった。慕われているのだ。
 迅鷹は無言で隼珠の髪に唇で触れていたが、そのうちにふと動きをとめた。
 しばらくじっとしたままでいる。不思議に思った隼珠が顔をあげると、迅鷹は表情を変えていた。
 いきなり硬い口調で言われる。
「隼珠、――服を脱いでみろ」
「……」
 迅鷹は隼珠のシャツの襟をじっと見ていた。いや、襟ではなくその内側を覗きこんでいた。
 迅鷹の目敏さに、覚悟していたとはいえその言い方に少し怯んでしまった。けれど、いつかはバレることなのだ。
「……へい」
 観念して隼珠は着ていたものを脱ぎ始めた。シャツのボタンを外して、するりとそれを畳に落とす。
「後ろをむけ」
 言われた通り、隼珠はゆっくりと背中を向けた。
 背後で息を飲む気配がする。
「これは……」
 迅鷹が驚きの声をあげた。
 相手がどう感じたのか知るのが怖くて、隼珠は迅鷹が何か言う前に口をひらいた。
「俺の、覚悟です」
 背中に相手の視線を感じる。痛いほどの。
 そこには彩色された風に翼をひろげる優美な鷹の姿があるはずだった。
「……」
 冷えた空気に裸をさらしたせいか、それとも緊張のせいか身体が大きく震えた。
 迅鷹は指をのばすと、隼珠の背にそっと触れてきた。五年前の夜、隼珠が迅鷹の阿修羅を初めて間近に見せてもらい、その美しさに手をあてたときと同じように。
「俺と同じ彫師だな」
 ぽつりと言う。
「へい。探して、彫ってもらいやした」
 迅鷹は大きく息を吸って、それから、唸るように吐きだした。
「――そうか」
 流線形に描かれた羽根に指先を添わせる。愛でるように、そうして感触を確かめるかのように。
 やがてしみじみした口調で話し始めた。
「……監獄にいる間、俺ぁ、お前をどうやったら幸せにしてやることができるのかと、ずっと考えていた」
 手のひらから、迅鷹の体温が伝わってくる。
「今度こそは、誰よりも裕福な暮らしをさせてやりてえと思ってた」
 叱られる覚悟だったが、そうはされずに優しくなでられて墨を入れたことを許されたのかと思えた。
「けど、お前の幸せは、これにあったんだな」
 こらえきれずに振り向くと、隼珠は迅鷹に抱きついた。
「俺はぜんぶ、鷹さんのもんです」
 男の背に手をまわして縋る。
「これは、その証なんです」
 気持ちがたかぶってしまい言葉が震えると、迅鷹はそれを受けとめるように言った。
「ああ。優雅な鷹だ。お前に似合ってる」
 黙って入れてしまったにもかかわらず、迅鷹は責めることなく似合うと褒めてくれた。
 それで隼珠はやっと、自分が博徒として受け入れてもらえたのだと知った。
「鷹さん……」
 迅鷹は微笑みながら、隼珠の唇に自分のものを重ねてきた。やわからく吸われて、舌を絡めあわせれば、隼珠は嬉しさに目眩すら覚えた。
 人の道に背く生き方を選んだと、世間からはそしられるかもしれない。
 けれど、ここが、ただひとつの、自分の在り処なのだ。 
 ――この人のために生きて、この人のために死のう。
 強く抱きしめられて、永遠の誓いをたてる。
 ――これから先も、ずっと――。
「隼珠、お前は俺の宝だ」
 背負った鷹とともに腕に抱かれ、隼珠は今までにない幸せを感じていた。



 『白城の鷹』の背中には、阿修羅像が彫られている。
 右肩には、一羽の鷹。隼珠が、何よりも愛する気高い鳥だ。
 その左肩に、つがいのように隼(はやぶさ)が舞い降りたのは、再会から数か月後のことだった。




【終】




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