白金狼と、拾われた小犬の花嫁 15


「まさか」
「毒は、王様にも盛られていた?」
 グラングが大きな身体をグラリと傾がせた。
「陛下は、自分の間違いに気づくべきなのです。私は、その引導を渡したまでです。陛下があの犬を運命の番だと言われるのならば、女神にそれを証明して見せてください」
 司教が声を強張らせて叫ぶ。グラングは虚空を睨めあげた。
「催淫薬か」
 突然、グラングの身体からビチビチという音が響いてきた。皮膚が痙攣し、ぶわりと芳香があたりに漂い出す。
「……うわっ、これっ」
 ララレルが袖で鼻をおおう。
 きついフェロモンがグラングの身体から吐き出されて、ロンロも目眩を覚えた。
 番を得たアルファのフェロモンはもう他人には作用しないはずなのに、薬のせいか過剰に発情した白金狼のフェロモンは周囲を威圧した。
「林檎酒に混ぜたのは、強力な媚薬です。十日間は興奮したままになるでしょう。運命の番を相手に精力をすべて使い果たさなければ、体内で毒に変わり、命も危うくなる代物です」
 そして、司教がロンロに視線を移す。
「狼ならば耐えられるが、犬ではもたない」
 王が胸を反らせ、苦痛に吠える。
 その声に驚いた臣下らが集まり始めた。しかし匂いに圧倒されて、部屋の入り口で踏みとどまる。オメガだけでなく、ベータやアルファもグラングのフェロモンにあてられた。それほど、白金狼の芳香は強烈だった。
「グラング」
 ロンロが一歩を踏み出す。グラングは息を荒くし、宙を見つめた。その瞳には、欲望が爛々と燃えている。
「……れ、ろ」
 舌の回らなくなった口で、グラングが呟く。
「逃げろ」
 グラングが誰にともなく告げた。
「……地の果てまで。でなければ、私はお前を抱き殺してしまう」
 幽鬼のような表情になったグラングが、定まらないどこかを指さす。
 けれど、ロンロは動けなかった。
「ロンロ、逃げよう、このフェロモンは尋常じゃない」
ララレルがロンロの袖を引く。
「けど、僕が、逃げたら、グラングはどうなるの。……精力を吐き出さないと、死んじゃうって」
「他の狼にでも、扱いてもらえばいい」
 ロンロは激しい情欲にとらわれて苦しむ自分の番を見つめた。
「そんなんで、収まるはずないよ」
 彼の苦しみはよくわかる。自分の中に伝わってくる。だって、自分たちは深いところで繋がってしまったから。その欲望は全て、共感できる。
「早く、……いけっ」
 いつもは涼しげな声が、掠れて割れていた。
 グラングは強烈な欲望に理性を食われてしまわないようにと、必死に興奮を抑えこんでいる。
 このまま自分がいなくなったら、この人はどうなるんだろう。苦痛にまみれながら死んでしまうのか。もしかして、ロンロの命を救うために己の命を犠牲にしようとしているのか。
「さあ、私に、構うなッ」
 そのとき、グラングは、フッと、今までに見せたことのない切なげな微笑みを浮かべた。
 獰猛なフェロモンにまみれながらも、一陣の清々しい風のように、清冽に笑ってみせる。
「……ぁ」
 その瞬間、ロンロはグラングの微笑みの意味を、理解した。
 グラングは、自分が死ねばロンロを運命の番から解放してやれると思ったのだ。ロンロを自由にして、新たな人生を与えてやれると。その可能性を感じて、思わず笑ったのだ。
 彼の考えは、まっすぐロンロの胸に届いてきた。
「……やだ」 
 そんなのは、絶対に嫌だ。
 この人を、失いたくない。自分のために、死んで欲しくなんかない。
 ロンロはララレルの腕を振り払って、部屋の中に駆けこんだ。
「ロンロッ!」
 細い腕を伸ばしグラングに抱きつく。逞しい胸に飛びこんで、首元に口づけた。
「どこにもいきません。グラングのそばがいい」
「……っ」
 グラングが大きく喘いで、ロンロを突き放す。
「やめろッ」
 けれど、ロンロはまた抱きついた。
「やめません。犬は可愛がってくれたご主人様を、絶対に見捨てたりしないんです」
 自分の胴体にしがみつく小さな身体を振り払おうと、グラングが身をよじる。けれどロンロは必死で縋りついた。
「抱いて、抱いて下さいっ」
「馬鹿者っ」
 馬鹿と呼ばれるのには慣れている。愚かだと、頭が悪いとも言われ続けた。そんなのは平気だった。ただ、グラングと離れたくなかった。

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