笑顔の成分 番外編 四年後の秋


この話は、本編終了から四年後になります。
本編でのネタバレを含みます。ご注意ください。



◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇



 玄関扉を引いて、「こんばんわ」と声をかける。
 すると奥から「おー、入って入って」という威勢のいい返事が聞こえてきた。
 声だけで本人は出てこないので、勝手知ったる他人の家とばかりに革靴を脱いで中に入る。
「おじゃまします」
 ことわりながら居間の扉をあけると、この家の住人である的野が台所からひょこっと顔を出した。
「おおー。今日はスーツを着てるんか」
 栗色の髪を揺らし、目を輝かせてこちらを見てくる恋人に、雪史は恥ずかしくなって肩をすくめた。
「研修だったんだ。だからこの恰好で出社したんだよ」
「めっちゃ似合っとる。写真撮っていい?」
 的野が台所に引き返し、スマホを手に戻ってくる。
「いや、いいよ。恥ずかしいから」
「けど、ユキのスーツ姿、入社式以来やん」
 スマホを掲げると、照れる雪史を何枚か写真に収めた。
「背景がうちの居間ってのがまたいいな」
 撮った画像を確認して嬉しそうにする。
「よし。これ待ち受けにしよ」
「やめてー」
 雪史も的野のスマホを覗きこんだ。そこには二十三歳になった社会人の自分が映っている。
「うう。似合ってない」
 いつまでたっても童顔なので、背広に着られている感があった。
「そんなことない。大人っぽくて恰好いいよすごく」
 そう言う的野は、トレーナーにイージーパンツという恰好だ。勤め先から帰ってきて風呂に入ったらしい。ほんのりシャンプーの香りもする。
「一緒の写真も撮ろ」
 的野はスマホを持った手を持ちあげ、もう一方の手を雪史の肩に回した。
 ふたりで顔をよせて自撮りする。カシャリと音がして、アップの笑顔がふたつ画面におさまった。
「なかなかええやん」
「的野はホント撮るのうまいね。それ、おれにも送って」
「おっけ」
 雪史はこの春、大学を卒業して地元のIT企業に就職した。
 社会人になって七ヶ月、やっと仕事にも慣れてきたころだ。的野のほうは相変わらず親戚の経営する工務店で働いている。仕事終わりにこうやって落ちあい、夕食を一緒に食べたり喋ったりしてすごすのも、もう四年目になる。
 幼なじみだった的野と大学一年の時に再会し、色々あってつきあうことになって、小さな喧嘩をしたり仲直りをしたり、休みには遠出をしたりして、なんだかんだと今も関係は続いていた。
「ユキ、明日の土曜日、休みやろ」
「うん。そうだけど」
「俺も休み取ったん。だから今夜、うちに泊まってかんか?」
「え? でも的野のお母さんは?」
「母さん、同窓会で和倉温泉いっとる。明日の夕方まで戻らんってさ」
「そうなんだ」
「だから、俺の部屋のベッドで一緒に寝よ」
「ええ? 恥ずかしいな」
 的野の家には何度も遊びにきているが、泊まったことはない。的野は母親とふたりで暮らしているからだ。
「いっつも泊まるときは、遠くのホテル使うやん。そうすると朝もチェックアウトとかで慌ただしいやろ。たまには俺んちでゆっくりすごすのもよくない?」
「そうだね」
「よし。じゃあ決まり」
 的野は嬉しそうにガッツポーズをした。
「なら、ばあちゃんに連絡入れるよ。今日は友達んちに泊まるって」
 雪史は同じ町内にある一軒家に、祖母とふたりで住んでいる。最近ちょっと腰が痛いと言い始めた祖母に心配をかけたくなくて、ラインで連絡を入れた。
 ポチポチ打ち終わって顔をあげると、さっきまで横にいた的野がいなくなっている。
「的野?」
 どこにいったのかと、部屋を見渡す。
 すると台所から使い古したプラスチックのザルを手に出てきた。
「今日ユキにきてもらったんは、泊まって欲しいってのもあったんやけど、もうひとつ、一緒にやりたいことがあったんよ」
「え? なに?」
 的野が居間を横切って、庭に続く掃き出し窓までいく。窓をあけると、踏石においてあったサンダルに足を突っこんだ。
「ユキもこっち出てきて」
「ええ? 何なの」
 不思議がる雪史を手招いて、庭の奥へ向かう。雪史も追いかけて女性もののサンダルを引っかけると外に出た。
 日が沈み暗くなり始めた庭の先で、的野が納屋から脚立を持ち出してくる。雪史はそれを手伝った。
 的野家の庭は三十坪ほどの広さがあり、松や紅葉などが植えられている。そしてすみには一本の柿の木。的野はその木の横に脚立を固定した。
「あ。そっか」
 大きくなった柿の木を見あげる。的野が定期的に剪定している木は、高さが二メートルほどになっていた。横に伸びた枝には、尻の尖った長細い柿が十個結実している。
「もう収穫できるんだ?」
「そや。いい感じになっとるやろ」
 七年前、雪史が昔住んでいた家にあった柿の木から、的野が種を取ってここに植えた。
 それが育って、こんなに大きな木になり今年初めて実をつけたのだ。
 六月に小さな黄色い花が咲いているのを見つけたときはふたりで喜んだ。そうして、色づいたら収穫して干し柿にしようと決めていた。雪史は仕事の忙しさもあって忘れていたのだが、的野はちゃんと覚えていたらしい。
「カゴ持っててくれる?」
「ん。わかった」
 受け取ったカゴを持って、脚立の横にスタンバイした。的野が脚立を登り、剪定ばさみで柿を切る。
「枝をちょこっと残しとかんといかんな。干すときに紐でしばるから」
「そだね」
 パチリ、パチリと音を立てて、的野は柿を収穫した。艶々とした橙色の果実が、カゴの中に重なる。すべてとり終わると、ふたりで部屋の中に戻った。畳に新聞紙を敷いて、包丁とビニール紐、皿に焼酎を並べる。
「全部干してみる? 焼酎漬けも作る?」
「渋抜きしたのも食べてみたいな」
「なら、半分ずつ作るか。初収穫だしな。来年はもっと実をつけるだろうし、今年はお試しや」
 的野が小皿に焼酎を注ぎ、カゴから実を五個手に取って、順番にへたを焼酎に漬け、ビニール袋に入れて袋をとじた。
「何日で甘くなるの?」
「二週間ぐらいのはず」
 それから残りの五個を皮むきしていく。雪史は横でひとつずつへたの部分に紐をくくりつけた。
 最後の一個は鳥がつついたのか、側面に傷がついている。
「これは使えないな」
「そうだね」
 目の前にかざしてふたりで確認した。
「ちょっと食ってみるか」
「ええ? 渋いよ」
「どんな味か見てみたい」
「絶対渋いって」
「いやもしかしたら甘いかもしれん」
「まさか」
 的野が実のきれいな部分をカットし、欠片を包丁に乗せてそのまま口に持っていく。
「知らないよ」
 呆れながら見つめる雪史に、面白そうに笑って大きく口をあけ、的野はもったいぶった仕草で口内に落とした。
「んー」
 その食べ方はまるで笑いを取ろうとするお笑い芸人のようだ。見ている雪史はドン引きのギャラリーの気分になる。
 的野はモゴモゴと口を動かし、眉間に皺をよせて難しい顔になった。
「ほらー。やっぱり渋いやろ。水、持ってこようか」
 しかし突然、目を見ひらき、ビックリ仰天という顔をする。
「甘い!」
 自分も驚いたというリアクションで、大きな声を出した。
「ええっ」
「めちゃ甘いぞこれ」
「嘘だぁ」
「嘘なもんか。ほら、ユキも食べてみろよ」
 的野が柿を差し出してくる。雪史はうろんな眼差しで見返した。もしかしたら、からかわれてるのかも知れない。本当はすごく渋いのに、的野はそれを我慢してだましているだけなのかも。
 口を引き結び食べようとしない雪史に、的野がほらほらと催促してくる。その強引さに負けて、仕方なく端をちょっと囓ってみた。
 警戒しつつ舌の上で転がすも、渋さはない。
「――ええ?」
 雪史も目を瞠った。
「甘い。全然渋くないよ」
「だろぉ」
「ええ? どうして?」
「わかんない」
 的野がもう一口、柿を囓って確認した。
「マジ甘めー。なんだこれ」
 畳にひっくり返って、ゲラゲラ笑い出す。雪史もポカンとなった。
「これひとつだけ、甘いのかな」
「どうやろ。他のも食べてみる?」
 的野が他の柿も端を削って口に含む。
「いやこれも甘いて」
「ええ? そなの?」
「なんでやろ」
 的野が首をひねりながら、ポケットからスマホを取り出し、畳に寝転がったまま何やらポチポチし始めた。
 雪史は的野が放り出した囓りかけの柿を手に取って、しげしげと眺めてからまた一口食べてみた。やっぱり甘い。
「あ、ここに書いてある」
 ころりとひっくり返ってうつぶせになると、スマホに書いてあることを読みあげた。
「渋柿の種を植えると、甘柿ができることがあります。反対に甘柿の種を植えると、渋柿になることがあります、だって」
「へえ。そんなこと初めて聞いたよ」
「俺も」
「じゃあ、これ、全部甘柿なのかな」
 干し柿用に皮を剥いた柿を、ひとつずつ切って食べてみる。
「渋くないよ」
「まじでかぁ。柿ってそんなんになっとるんや」
 的野が起きあがってあぐらに座り直す。
「じゃあ、これはもう干し柿にはできんな」
 皿の上に並んだ柿を眺めてちょっと残念そうに言った。
「そうやね。このまま食べるしかないね」
 柿が縛ってある紐の先をつまんでもちあげる。雪史と的野の間で、甘柿がゆらゆらと揺れた。
「これからは、毎年、甘い柿がなるんかな」
「だろうね」
「まあ、甘い柿もうまいからいいけどさ」
 的野がえくぼを浮かべて笑う。雪史もつられて微笑んだ。
「渋柿が欲しくなったら、またこの柿の種を植えりゃええし」
「うん」
「また七年待たんといかんけど」
 雪史がその言葉に、ふふと笑うと、的野が「なんやね」と口元をあげる。
「いや。七年後なんてずっと先やん。そのころおれらはどうなってるのかなと思って」
「そやなぁ。どうなっとるやろな」
「そのころには三十歳やよ」
「信じられんわ」
 的野が笑ったまま少し真面目な口調になった。
「……そんときも、一緒におられたらいいな」
 優しげな瞳でこちらを見つめてくる。
「おるにきまってるやん」
 当たり前だと返せば、的野が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、毎年、一緒に収穫できるな」
「うん。これから毎年、秋になったら一緒に食べよう」
 雪史も皿の上におかれた柿の紐をつまんで揺らす。的野の吊している柿にこつんとぶつけると、ふたつの柿がくるくる回りながら紐が絡まっていった。
「おれ、的野とこうやってずっとすごしていきたい」
 紐が目一杯よじれると、今度は逆回転してほどけていく。
「俺もや」
 的野が静かに返した。そうして、空いた手を雪史の手に重ねてくる。
「ユキとふたりで、こんな風に楽しいこと見つけたり、小さなことで驚いたりして、ずっとずっとここで暮らしていきたい」
 ギュッと握られた手に、雪史もうなずいた。
「うん」
 この先も、何があっても。
 生まれ育ったこの町で。
 ふたり一緒に、生きていきたい。
 的野が微笑みながら、身をよせてくる。
 甘い果実が触れあうように、互いに優しいキスをした。



 ――おわり――
 

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