笑顔の成分 最終話(R18)


「んっ、んん」
「ユキの声、すげー、いい……」
「ん、うん、……うん」
「腰んとこに、すごくひびく……」
 的野が下肢を押しつけてくる。最初はぐいぐいと奥を突くばかりだったけれど、そのうちに抜き差しすればもっと気持ちよくなれると悟ったらしく、少し離れて、それからまた、摩擦熱を伴いながら侵入してきた。
「……は」
 握られたペニスから、泣くように雫があふれている。それは的野の指のあいだを濡らしながら、解放を望んで自ら切なげに揺れた。的野が快楽に追われて、先へ先へと身を進めようとしてくる。雪史は相手の首に両手をまきつけ、目をとじて与えられる感覚へと没頭した。
「……あ……、ユキ……」
 聞いたこともない、苦しげな、けれど愛情のこもった呼び声に、背筋にそって痺れが下りる。下半身が瓦解して、腰から力が抜けて、快感だけに流されていく。
「……的野――」
 限界が近づいていた。短く息をつぎながら、相手の髪をかき抱く。的野も細切れの吐息を繰り返していた。
 やがて、ひときわ低く獣のようにうめいて、背中を強張らせる。
「ん……ん、んっ――」
 その瞬間、雪史も引き摺られるようにして、頂まで連れて行かれた。
 制御できない震えが、嵐のように全身をおそう。同時に、的野の腹と指を、乳白の雫で汚した。
「……は……っ」
 頼りなげな声音がもれて、涙目になってしまう。
 快楽の波がひいて、余韻が肌をなめらかにゆるめるまで、雪史はずっと相手に縋りついていた。的野がそれにやわらかく微笑む。
 朱に染まった頬に、自分の頬をすりつけてきた。全身の力が抜けていた雪史は、されるがままにした。
 そうしていると的野がくたりと雪史にもたれてくる。
「……ユキ」
 耳たぶに唇よせられ、吐息だけで呼ばれた。
 力を抜いた、的野の重さが心地いい。 ゆっくりと速度を落とす相手の鼓動が、雪史の胸に響いてくる。
 ふたり重なったまま、しばらくの間、動けないでいた。
 雪史の上で両手足を投げだした的野が、ひとり言のように呟く。
「――俺、これでやっと自由になれる気がする……」
 項垂れた頭の向こうに、羽根のように盛りあがる肩甲骨が見えた。あえかなため息をつくたび、羽ばたこうとするかのように小さく上下している。
 震えるそれに、雪史はそっと、自分の手のひらをのせた。


 ◇◇◇


 次の日は、午前五時に起きて知らない街をあとにした。平日で、的野は仕事がひかえていたからだ。
 あわただしく、朝日がまだ顔を見せないうす蒼い国道を、ふたりで故郷の街へと引き返した。
「うちによって、作業着に着がえてからユキを家まで送ってくから」 
 そう言われて、まず的野の家に向かった。家の前で車をとめると、なぜか雪史にも「おりて」と言ってくる。
「ユキに見せたいものがあるんだ」
 何なのだろうと、後をついていく。的野は平屋の家をぐるりとまわって庭に雪史を連れて行った。あまり広くない庭には、ツツジや松などが刈り込まれて所々に植えられている。その一角に手招きされた。
「これ」
「え?」
 的野が一本の、細くて背の低い木に手をあてる。
「この木、なにかわかる?」
 葉が落ちて、寒々しく立つその木が何なのかは、よくわからない。
「これさ、ユキんちの柿の木」
「えっ」
 的野は木肌をなでるようにして、一メートルほどに育った木を見下ろす。
「ユキんちの解体作業、うちの工務店がやったんだよ。俺が高一のとき。あのころ、俺さ、更正しようと思い立ったばかりでさ。バイト始めたところで。そんときにユキの家の仕事も手伝ったんだ」
 その頃を思い出すようにしながら、的野は木を眺めた。
「職人さんがさ、柿の木も切っちゃって。……倒れた木を見てたらなんでかわかんないけど、ユキの顔を思い出してさ。神戸に行っちゃったユキのこと、家が大変だったって、みんなから聞いてたから。これもみんな無くなっちゃったら、ユキは悲しむだろな、って」
「……」
「一緒に縁側にならんで、干し柿食べたことや、あんときのユキの笑顔とか。そういうの思い出して。ちょうど秋で、木に実がなってたんだよ。だから、実をいくつか持って帰って、ここに埋めたんだ」
 こちらを向いて、にっと笑う。
「芽が出ればいいなと思ってたら。ホントに出た」
 それから少し、恥ずかしそうにする。
「杉山さんちが、ユキのばあちゃんちだって聞いてたから、もしかして、いつかユキも遊びに来ることがあるかもしれないって思って。その時、この木見たら、ちょっとぐらいは喜ぶかなって」
「……うん」
「なんとなく。……なんとなく、そう思っただけなんだけどさ。けど、これがあれば、またユキと話ができるかなあって。昔みたいに」
「……うん」
 ふたりでまだ若木の柿の木を見る。
 雪史は、今はもうない家で暮らした時のことを思い出した。母がいて、小学生の自分がいて、隣には的野の笑顔があって。
 的野がその思い出のかけらを、こうやって育ててくれていたことが、嬉しかった。失いたくない日々を大切に、ここに小さな形として保存してくれていたことが、すごく嬉しかった。
「……ありがとう」
 礼を言えば、的野も微笑む。
「でも、まだ、実はつけてなくって。ホントは実をつけてから知らせようかなって、考えてたんだ。――けど昨日の夜さ、ユキが寝てるとき、寝顔を見ていたらさ。……なんつっか、その、この木の成長を一緒に見守っていくのもいいかなあと思えてきて」
 細くて小さな柿の木を見ながらささやく。
「そしたら、ユキ、実がつくまでは、ずっとここにいなきゃいけないだろ」
 自分の言ったことが恥ずかしかったようで、的野は肩を小さく竦ませた。聞いている雪史も恥ずかしくなってきた。寝顔を見られただけじゃなく、これからもずっと一緒にいたいと思ってくれていたなんて。
 話の途中で的野は、「あ」と言い、ポケットからスマホを取り出した。メッセージを確認して、くすりと笑う。
「どうしたの?」
 雪史が尋ねれば、「いや」と言いながら、親指で画面をスクロールさせていく。ずいぶん大量のメッセージが届いているようだった。
「昨日からずっと震えてたんだけど、ユキとの時間邪魔されたくなかったから放っておいたんだ。冬次と亜佐実から、めっちゃメッセージが送られてきてる」
「え?」
「すっげー、謝ってきてる。特に、冬次が」
「……」
「『悪かった』『ごめん』『あの時は普通じゃなかったから』……『本気で思ってるんじゃない』」
 的野は画面を見ながら微笑んでいた。
「『今度からは、おまえのこと悪くいうやつは、俺がちゃんと止めるから』だって」
「話し合いは、ちゃんと、ついたんだよね?」
「うん。昨日、ちゃんと話した。けど、あんときは短い時間だったから、言い足りなかったんだろ。許してくれって、いっぱい色んなこと書いてきてる。亜佐実も」
 的野はすぐに返事を打ち出した。
 穏やかな横顔をみていれば、もう気に病んでいないことはよくわかる。的野はふたりのことをとっくに許しているのだろう。けれど雪史にして見たら、ふたりのしたことは、簡単に許容できるような内容ではなかった。話し合いの経緯を見ていなかったせいもあるのだろうが、まだ少し納得できないものがある。
 自分はどうやら、的野のことに関しては、ほかのことよりも強情になるらしかった。
「……ふたりのこと、許すの?」
 問えば、的野はちょっと驚いたような顔を向けてきた。
「許すよ」
 当たり前というように答えられて、雪史はその笑顔に気が抜けたようになった。自分の中に残っていた怒りもしぼんでなくなっていく。
「許さないと、……傷つくことになるやろ」
 またスマホの操作に戻る。
「俺も、冬次も亜佐実もさ」
 手早く送信してしまうと、それでこの話は終わり、というようにポケットにスマホを突っ込んだ。
「俺はもう、そういうのはいいんだよ」 
 雪史に向き直り、にっと微笑んでみせる。口元の腫れは昨日よりひどくなっていて、痛々しかったけれど、それ以外はえくぼの目立つ、いつもの笑顔だった。
 雪史は身をのり出して、傷をさけてそっと唇を近づけた。
 早朝の誰もいない庭に、細い朝日が射してきている。キスをしている間に、光はゆっくりと拡がりはじめた。
 雪史が唇を離すと、的野は嬉しそうな、けれどなんだか憂いも含む表情をする。
「俺が腹をたてる暇もなく、ユキが全部それを持ってってくれたやろ」
「……」
 的野は、雪史がまだ気に病んでいることを心配してくれているのだった。
「代わりに怒ってくれたユキの中で、俺の怒りは溶けてなくなってったんだと思う」
 的野の手のひらが、雪史の頬にふれてきた。
「俺が冷静に、ぜんぶ受け入れられるようになったんは、そういう、ユキの愛情があったから」
 今度は、的野の方から唇にふれてくる。優しく、雪史の心をなだめるように。
 差し出された舌先を、やんわりと吸ってみた。的野の寂しさをぜんぶ、吸い取ってやりたくて。
 ずっと離さないでいたら、キスしたまま的野が笑ってきた。雪史もつられて笑ってしまう。
 ふたりで何度も啄ばむようにふれあって、互いの心の傷を癒しあった。
 的野には的野の孤独やつらさがあって、自分にも同じように、寂しさや悲しみがある。けれどお互いにその痛みをたどるようにこうやって、キスをして、相手の傷を自分の中にとりこんで、溶かして思いやりに変えていけば、自分らはこれからもお互いを想いあって生きていけるんじゃないか。少し足りない幸せを、補いながら、過ごしていけるんじゃないだろうか。
 そんな気がする。
 明るいオレンジ色の朝日が庭に下りてきていた。的野の後ろから、輪郭を浮き上がらせるように光を放っている。
 的野が、幸せそうな微笑をみせる。
 雪史も、目を細めて、それに応えた。
 
 
                                 ――終――



                   目次     前頁へ<  >