ゆるキャラ系 童貞男子の喰われ方 番外編 最終話
「こんばんわ」
いつものように、ジムでの練習後、スポーツバッグを抱えてザイオンを訪れる。樫の扉を押せば、聞き覚えのあるかろやかなフュージョンが中から聴こえてきた。
「いらっしゃいませ。こんばんわ」
店内は早い時間のせいか客はなく、カウンター内にはアキラひとりだった。
定位置となったカウンターの一番奥に座ると、アキラに「いつものでいいですか」ときかれる。
「はい、いいです」
と答えると、すぐに冷えたハイネケンが出てきた。
「上城さんは会合ですか」
冷たいビールを一口飲んで、店を見渡す。恋人の姿はどこにもない。
「そうですね、すぐ戻ってくると思いますよ」
「忙しそうですね」
「ええ、まあ、色々とあったりして……」
アキラが空になった瓶を、シンク下におきながら言った。
かがんだその後ろにはボトルの並んだ棚がある。何気なくそちらに目をやって、飾られている物にビックリした。
「え?」
瞬きして、それが何か確かめる。棚にあったのは、陽向の岩石ケーキの写真だった。ボトルと一緒にちゃんと写真たてに入れられて並んでいる。
「ちょ、ちょ、ちょっと、あ、の、あれなんすか」
指をさすと、アキラが振り返って「あー」と言った。
「小池さんがバレンタインに作ったケーキですよね」
「なんで飾ってるんですか……」
あんな不細工なケーキを。しかも写真たてに入れて。
「上城さん、『お前にはやらんが、写真だけは見せてやる』とか言って自慢してきましたよ」
「まじですか」
記念になるとは言ってたけど。まさか、こんな形で残されるとは。
「顔にはださないけど、めっちゃ嬉しかったみたいです。あと――」
と言って、カウンターから身を乗りだしてくる。
「この写真は、魔よけみたいな効果もあるんですよ」
「魔よけ?」
アキラが神妙な顔でうなずく。
「なんですかそれ」
確かに不気味な見た目だが、そんな効果を仕込んだ覚えはなかった。
「バレンタインの日、上城さん、チョコレート沢山もらってきたでしょ?」
「ええ、はい」
あの夜の大量のチョコは結局、陽向はどれも食べる気になれず、上城は例年通りアキラにすべて渡したはずだった。
「ここのところ、お宮通りも看板変えてきれいになったから、女性がひとりでも、来やすくなったんですよ。それでザイオンも女性客が増えて。みんな上城さん目当てなんですけどね。で、アルコール入ると酔いに任せて告ってくる人もいるんです。上城さんに」
「そうなんですか」
「しつこくアタックする人もいて、けど、お客さんだからあまり邪険にもできないじゃないですか。それで、これ飾っといて、俺がときどき、お客さんに『上城さんの恋人が手作りしたんすよ』とけん制しとくわけ」
「はあ……なるほど」
「それでも、あの人はモテるから構わず迫ってくる人もいるんですけどね。まぁ、そういう訳で、飾ってるんです」
アキラは身を起こすと、ふふっと続けて笑った。どうやらあの隕石が、上城の身を守ってくれているらしい。
「手作り、いいじゃないですか。愛がこもってて。俺も欲しいなあ、手作りのケーキ」
「あんなんでよけりゃ今度、作りましょうか?」
「いやそうじゃなくて」
アキラは手を振った。けれど別に羨ましそうでもない。それで思いだした。アキラは桐島と付き合いだしたはずだ。
「アキラさんも、もらったんじゃないですか、チョコ」
水を向けると、アキラはにへらっとだらしない笑顔になった。
「ええ、まあ、えへへ」
「桐島から聞きましたよ」
「えええ、まじですかあ。彼女、小池さんに言っちゃったんだあ」
めちゃくちゃ嬉しそうにして、髪をかく。
「よかったですね」
「ええ、頑張って口説き落としたかいがあったというか。へへへ」
幸せそうな様子に、陽向も笑顔になった。
それからアキラは上城が戻るまで、延々とのろけ話をしゃべり続けた。最近車を買ったこと、来週一緒に隣県のアウトレットモールまで買い物に行くこと、車種とカラーは彼女に選んでもらったこと。やっぱり馬のままだ、と思ったが黙って微笑むだけにしておいた。
そうしている内に、扉があいて上城が戻ってきた。
「あ、こんばん……」
わ、と言おうとしたら、上城に続いて女性客がひとり入ってきた。陽向と同じくらいの歳の可愛らしい人だ。彼が中に入るように促したところを見ると、どうやら今まで一緒にいたらしい。戸口で偶然会ったという雰囲気ではなかった。しかし陽向の目を引いたのはその可愛らしさだけではなかった。
女性客は泣いていた。目を真っ赤にはらしてハンカチを口元にあてている。
ビックリする陽向と、顔をあげた上城の視線があった。とたんに、上城の顔がしまったというように強張る。陽向は見てはいけないものを見てしまったのかと、パッと顔をそらした。
「アキラ、おしぼり」
「あ、はい」
アキラがシンク横のタオルウォーマーから、温かいおしぼりをひとつ取りだして手渡す。上城は泣いている女性にそれを渡して奥のソファに移すと、対面で腰かけてふたりで何やら話しはじめた。
陽向はそちらが気になりつつも、さりげないふりでビールを飲み続けた。アキラも客に配慮してか何も言わない。上城が小声でぼそぼそと話して、女性がうんうんとうなずいているようだった。
やがて女性客が腰をあげて、上城に挨拶をして帰っていった。最後には少し笑顔を見せて。
そして店内は三人だけになった。
「……」
アキラがグラスを麻布で拭きつつ、そっと言った。
「大変っすね」
「うまく断れたと思う」
いささか疲れ顔で、上城がこぼす。それから、陽向に視線を向けてきた。その目が、どうやって説明しようかと困っている様子だったので、陽向は片手をあげて先制した。
「いや、俺、大丈夫ですから」
ニッと笑顔を作ってみせる。
「アキラさんから聞いてます。だからわかってます。大変ですよね。俺のことは気にしないでください。上城さんのことも信じてます。何も疑ってもいません」
仕事柄、仕方のないことなのだろう。理解できたから、ちゃんと笑顔になれた。本当は、ほんの少しだけ複雑な心境ではあったが。
上城は陽向の明るい言い方に、ほっと表情を緩ませた。けれどその内心の不安も読み取ってはいたのだろう。カウンターの横に来ると、陽向の頬をちょんと指でつまんできた。
「ありがとうな。そう言ってくれると助かる」
いつもの目元を和らげた笑顔になったので、陽向も安心した。
「お前のそういう男らしいところが、俺は好きなんだよ」
ハッキリのろけたので、アキラが「っっとぉ」と声をあげて、グラスを落としそうになった。
「ラブラブっすねぇ。これならどれだけ美人に迫られても小池さんは安心ですね」
ニヤリと笑って冷やかしてくる。
「お前は黙って仕事してろ」
上城が、無駄口たたくなというように叱った。
けれどもう、陽向は知っている。こういう言い方をするときは、怒っているわけではないのだ。顔にはださないが、実は照れているのだと、アキラも自分も分かっている。
アキラが陽向にちょっと目配せをしてきた。その目は『上城さんはシャイだから』と言ってるようだったので、陽向も微笑み返す。
そうしていたら客がやってきたので、上城はいつものクールなバーテンダーの顔になった。カウンター内に入り、仕事の準備にとりかかる。
新規の客や常連さんが続けて来店し、上城は忙しそうにそれに対応しはじめた。
それでも、時々、手元を動かしながら、こっそり陽向に笑顔を向けてくる。
陽向は幸せな気持ちで、それを受け取ったのだった。
おわり
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