わがままな未来


「おれも陽太の合コンについていく」
 テレビの前で体育座りしていた未来が、不機嫌に言ってくる。
 上着に袖を通しながら、俺はため息をついた。
「合コンじゃなくてクラスコンパ。物理学科の。だから、経済学科の未来がきたって知り合いもいないし、面白くないと思うよ?」
 そう説明しても、未来は口を尖らせて上目で睨んでくる。
 置いていかれるのを拗ねているような仕草は大学一年にしてはひどく子供っぽい。
「けど、女の子いるんだろ。だったら合コンじゃん」
「女の子はふたりしかいないって。俺はあんまり親しくないから、行っても話はしないと思うけど」
 同居するアパートの一室で、さっきからずっと未来はこんな調子で俺に絡んできていた。
 未来は俺のいとこで同い年で幼馴染。今年、偶然おなじ大学に進学して、それを機に同居を始めた。2Kのアパートで一緒に暮らして三ヶ月あまり。昔から我儘で自分勝手で、俺を顎で使ってきた未来は今もまったく変わってなくて、すぐにこんな無茶振りをしてくる。
 身長は俺の方がとっくに抜いてしまってガタイもよくなり、反対に未来は華奢でちっちゃくて可愛いままだけど、相変わらずボスはおれだとばかりに俺を召使いのように扱う。
「けど、この前、陽太の友達と飲んだとき、そのふたりとも陽太狙いだって、あいつら言ってたじゃんよ」
 俺はまた、大きくため息をついて、立ったまま未来を見下ろした。
「未来がその女の子のこと気に入ってて、誰にも取られたくなくて、一緒に行きたいって言うのなら、連れてくけど?」
 それに未来は、「はああ?」といきなり怒りだした。
「ばっかじゃないの。おれがいつそんなこと言ったよ。おれ、陽太のクラスの子なんかぜんぜん好きじゃねーし」
「そうだよな。経済学科のほうが、おしゃれでイケてる子が多いもんな。未来もそっちでカノジョみつけたらいいよ」
 スマホを手に、集合場所を確認する。そこに未来が手元にあった紙くずを投げてぶつけてきた。
「陽太のばーか。そんなに女の子にモテたいのかよ」
「はあ……? なんでそうなるんだよ」
 支離滅裂でついていけない。
 未来は我儘な上に、甘えたがりだった。俺が離れていくのを、いつもこうやって嫌がって邪魔しようとする。
 どこかへ行こうとすると、すぐにくっついてきて一緒に行こうとする。そのくせ、出かければ主導権は自分が取りたがる。
 買い物に出れば、あれこれ横から口を挟んで「これは趣味が悪い」だの「おれの言うこときいてこれにしとけ」だの親よりも口うるさい。ビデオを借りに行けば、「これが観たい」と勝手にカゴに放り込んで、俺が観なかったら「なんで一緒に観ないんだよ」と文句を言う。
 腹が減れば『ハラへって死にそう。死んだら陽太のせい』とメッセージを送ってくるし『だから駅前のベーカリーのカレーパン買ってきて』とパシリのようにこき使う。
 以前、黙ってコンパに行ったときは、嫌がらせのように帰るまでLINEにスタンプの絨毯爆撃が敷かれていた。それを見たときは怒るを通り越して、呆れて脱力した。
 けれど、未来がそのとき、俺が帰るまでずっとひとりでこの部屋で、返事を待ってスタンプを打ち込んでいたのかと思ったら、そのときはちょっと可哀想に思ってしまった。
 未来は俺以外にはなつかない、いや他人には簡単にはなつけない、神経質な子犬みたいな性格をしていた。
 今だって、不貞腐れてはいるけれど、頼りげない瞳でこっちをちらちら見上げてきている。それを眺めていたら、しょうがないか、と言う気になってしまった。
「……わかったよ。コンパには行かないから」
「ホント?」
 飛びあがる勢いで返事をする。ぴょんと跳ねて、上体を起こしてきた。
 俺は上着を脱いで、未来の横に腰をおろした。手にしていたスマホで幹事に『悪い。今日は行けなくなった。ドタキャンでごめん』とメッセージを送る。覗き込むようにして、それを確認した未来は、自分もスマホを取り出した。
「だったらさ、パズドラやろーぜ、陽太。おれ、このまえ新しいモンスター手に入れたんだ」
 さっきとは打って変わって、急に笑顔になった未来が身を寄せてくる。
「俺もこのまえガチャでレアゲットした。じゃあ、今日は未来とパズドラ三昧するか」
 うん、と嬉しそうに頷く顔を見ていたら、コンパには行かなくてよかったかなという気になった。
 傍にさえいれば、未来は機嫌がいい。素直じゃないし口も悪いけど、こんな笑い顔を見せるときだけは、男だけどかわいいなと思えてしまう。
 ふたりで互いのスマホを見せ合って、プレイしようかとしたところに、俺の方の通話機能が呼び出しをかけてきた。見れば幹事のクラスメイトからだ。
「はい」
 すぐに出ると、相手は泣きそうな声をあげた。
『おいー、陽太。なんで急にこれないとか言い出すんだよー。困るじゃねーかぁよお』
「――あ、ごめん。……急な用事が入ってさ」
『用事? なにそれ。今日じゃないといけないの? 俺さ、女の子ふたりに陽太こないのかって、さっきから責められてるんですけど』
「え?」
 声が洩れていたのか、未来がさっと顔色を変える。
『陽太が来るから参加したのにって言って、ふたりとも帰ろうとするんだよ。だからドタキャンは困るんだよ。なあ、遅れてでもいいからさ、ちょっとだけでも来てくんねーかなあ』
「……」
『なあ、頼むよ。待ってるからさ。場所わかってるよな。みんな待ってるから、よろしくな』
 言うだけ言うと、通話は切れた。目の前には、眉根をよせて成り行きを見守っている未来。俺は困ってしまった。
「……行くの?」
 んー、と唸るように返事をする。どうしたものかと迷いながら、とりあえず顔だけは見せにいくかと立ち上がった。すぐに帰ってくるつもりで上着に手を伸ばすと、それをぱっと未来が奪ってしまった。
「おれとバズドラするって言ったじゃん」
「ちょっとのぞいて、顔みせて、すぐに戻ってくるよ」
「うそだ。そのまま、また女の子と一緒に遅くまで飲んでくるんだろ」
「……あのなあ」
 手を伸ばして上着と取ろうとすると、それを背後に隠してしまう。
「陽太は女の子にモテるの、好きだもんな」
「そんなの好きだなんて、言ったおぼえないけど」
 言いながら、俺は高校時代のことを思い出した。
 俺と未来は同じ高校に通っていた。クラスは違っていたけれど、いつも一緒につるんでいた。そのせいか、未来のクラスの女の子が、『陽太と付き合いたいんだけど、どうしたらいい?』と、未来に相談したことがあった。
 未来がその相談ごとを俺に伝えてきたとき、俺は付き合う気はなかったのに、安易に『じゃあ、付き合っちゃおうかな』と言ってしまった。
 翌日から三日間、未来は学校を休んだ。三日目にお見舞いに行ったら、真っ赤な腫れぼったい目で玄関に出てきて、ただの風邪だからと言い訳した。
 未来の母親から熱はないと聞いていたにもかかわらず。
 おかしいな、とは思ったけれど、そのときはまだ、なぜそんな嘘をついたのかよく分からなかった。けれど大学受験をむかえたとき、未来は偏差値が足りないくせに俺と同じ大学を受験して、そのときもまた体調を崩したことで、その理由がやっとわかった。
 受験後に未来の母親からこっそり聞いたところによると、未来は受験前から緊張で何も食べられなくなり発表の日が来るまで、毎日お粥だけやっとのことで食べていたとのこと、発表の日はパソコンの前で嬉しくて倒れてしまい、『これで陽太と同じとこ行ける』とずっとうわ言でいっていた、ということらしかった。
 それを知ってから、俺の中で、未来の立ち位置が変化した。
 未来がどんなに我儘を言っても、俺は別にそれを嫌だと思ったことはない。それよりも、言われるたびになんだかくすぐったくて、可愛くなる。必死になって束縛してこようとすると、こっちだって身体の奥が高揚する。
 今も、未来はちょっと心配そうな顔でこちらを見上げてきている。額の真ん中にきゅっと小さな皺をよせて、口元は何か言いたげに開きかけたままで。未来は不安なときにいつもこんな表情をする。かるく尖らせた唇は、触れてもらうことをねだっているようで目が離せない。そんな顔をされると、こっちもそろそろ我慢の限界がきそうになる。
 けれど未来はそのことを、きっと全然わかってない。
「……やっぱりちょっと、顔だけみせて謝ってくるよ」
 上着は諦めて、俺は立ち上がった。振り切るようにして玄関まで急ぐ。その後を、未来は慌てて追いかけてきた。
「陽太のうそつきっ」
「なんでだよ」
「合コンは行かずに、おれとパズドラするって言ってくれたじゃん」
 スニーカーに足を突っ込むと、背中にグーパンチを喰わされた。
「そんなに女の子がいいのかよ。おれとパズドラするよりそっちのほうがいのかよ」
「……あのなあ」
 振り向くと、未来はスマホを握りしめて涙目になっていた。
 ――そこまでして。
 まだ強がんのかよ。
 胸の奥から、やるせない感情がわきおこる。
「未来」
 名前を呼べば、ひくりと肩を震わせた。
「お前さあ」
「……なんだよ」
 俺は、首を傾げるようにして、自分より若干背のひくい相手を見下ろした。
「そんなに、俺とパズドラしたいの?」
「――え?」
 未来が、うるんだ瞳を大きく見ひらく。俺は意地悪く、冷たい声で言ってやった。
「違うだろ?」
 未来は何を言われているのかよくわかっていないようだった。さっきのように不安げな表情を見せてくる。
「未来が俺としたいのは、ホントはもっと――」
 その唇は力なく開いていて、やっぱり誘っているように見える。
「別のことなんだろ?」
 言いながら、身をかがめて、唇で口先に触れてやった。
 押し付けるように、自分のそれを重ねる。未来はその場で固まった。何がおこったのか、理解できないという表情のままで、瞬きさえせずに。
 それを見ていたら、可笑しくなってちょっと笑ってしまった。なんだか、してやったりという気分になる。
「未来?」
 しばらく棒のように突っ立っていた未来は、急にへにゃりと玄関先に座り込んだ。目の焦点が全然あってない。
 茫然自失というやつだ。
「……やれやれ」
 俺はため息をつくと、未来を抱えて部屋に戻り、ベッドの上に寝転がらせた。
 それでも未来は人形のように動かなかった。スマホを取りだして『ごめん。やっぱ無理。行けそうにない』とメッセージを打ち込む。横向きの未来を跨いで背中側に行くと、俺も横になって未来が正気になるのを待った。
 大丈夫、とか、俺もお前のことが好きだったんだ、とか、かける台詞はいくらでもあったけど、あえて黙っていた。
 いつも我儘で意地っ張りな未来が、素直になった時どんな言葉を聞かせてくれるのか、それを本人の口から言って欲しかったから。
 上から覗き込めば、未来は顔から耳から真っ赤にして、どうしたらいいのかわからないといった顔で呆然としていた。見ていると、また頬が緩んでくる。
 うなじにキスしたら、小さく震えた。
 俺はそのまま、浮かんでくる笑みをこらえつつ、未来が答えてくれるのを、ゆっくりと待つことにした。

                                             
                                                                            ―おわり―

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